最近、NHKアカウントから以下のツイートが流れてきた。
【女性にAED ためらわないで】
— NHKニュース (@nhk_news) 2020年10月24日
救命に欠かせないAEDですが、「倒れた人が女性だった」ことを理由に使われない、という事態が起きていました。https://t.co/dKFh7HdkBg
リンク記事(https://archive.vn/7NnDN)の取材日付が「2019年5月31日」になっている。時系列がよくわからないがそれはともかく、私は記事本文よりも「寄せられたご意見」に目がとまった。
以下、リンク記事より引用
寄せられたご意見私のこの問題への基本スタンスは過去記事「赤十字講習その一」で書いた通りなのだが、上に引用した無記名氏(女性?)のような考え方は女性の間で特殊なのかな…と少し考えこんでしまった。
無記名
2020/02/28 60代
私くらいの年齢でも倒れてもAEDを人のいる場所で使わないで欲しいと思ってしまいます。 大勢の前で裸を晒すなら死んだ方がいいと思うからです。 若い女性だったら余計そうだと思います。 好奇の目で見る男性が必ずいると思うからです。 洋服の上からも出来るようなものが開発出来れば1番良いのですが。
一般的ならAEDはより難しい作業になるし、特殊であっても安易に「命のが大事だろう!」とも言い難い。
このへんの感覚、他人に理解して貰いたいとも思わないけれど、万人にとって命(の尊さ)イコール必ずしも「生物的心臓の拍動」のみをさすわけじゃなかろう。それは科学主義・合理主義に墜落した理念一番な人の妄想だからね。
命とは「生の実感」の事だと思うが、女性の心情を等閑しすぎな男性社会特有の当然観が怖い。廉恥や羞恥は生の実感を傷つける魂への侵襲に他ならない。優劣を自明とするのは単なる合理主義・科学主義だ。
AED処置をとる側の心構えや考え方のみに着目して、処置を受ける女性側の心情に目を向けていなかった。
以下のようなアンケートがSNSで実施されていた。
女性のみお答え下さい
— 自称天才うんち☆あすた (@asutaroto2002) 2020年10月28日
あなたがAEDを使われる際、必要な分脱がされても人命救助のためだからと許せる
男女限らずRTの協力お願いします。
男性の分は↓
正直いって、Twitterアンケートにおけるサンプルとサンプルサイズの正確さを私はまったく信用していない。そもそもTwitterアカウントに男女なんて属性ないじゃろが。
ともあれ、数字を信用できるパラメーターとして一応仮定すると・・27%が「多分」と肯定判断に一定留保を付けている。
「多分」とは「おそらく」などの可能性の判断だ。
以下、新明解国語辞典より引用
おそらく【恐らく】(副)
〔文語の四段活用の動詞 「恐る」 の未然形+接辞の 「く」〕 そうならないかもしれないという、 幾分かの疑念・ ためらいの気持をいだきながらも、 その実現を推測する様子。 「—不可能だろう/ この分では—雨だろう」
次いで「許せないであろう」人が約10%存在する。つまり40%弱の女性がこの問題について不確かなスタンスなのだという事を、男性諸氏は頭の片隅に入れておいたほうがよいな。
う~む。難しい問題だ・・(結論は出てても、、)これは葛藤するのが通常で、躊躇いなく「あるべき論」を言葉で断言する正義漢を、私はあまり信用していない。まあ、通電→火傷覚悟で下着の上から処置するという方法も考えられるが。
男性側のストーリーでのみ語られるAED問題。
痴漢扱いされるリスク(訴訟リスク)
価値論として、人の実存よりも生物的心臓の活動が優越する。…それはそう思う人の信念信条でしかない。訴えられるリスク云々も結局は自分の身の上の話だしね。しかしそれでも、多くの男性は貴方を助けようとするだろう。その時、どうか許してあげてほしい。
たとえ男子の我が儘な信念であったとしても。