24-BLOG

行き場のない雑文

命の在処

最近、NHKアカウントから以下のツイートが流れてきた。


リンク記事
女性にAEDためらわないで)の取材日付が「2019年5月31日」になっている。去年の記事をツイートしたのか。定期的にトピックに挙がる気がする。時系列がややこしい。

ざっと一読した感想。
私は記事本文よりも「寄せられたご意見」に関心をもった。

以下、リンク記事より引用

寄せられたご意見

無記名
2020/02/28 60代

私くらいの年齢でも倒れてもAEDを人のいる場所で使わないで欲しいと思ってしまいます。 大勢の前で裸を晒すなら死んだ方がいいと思うからです。 若い女性だったら余計そうだと思います。 好奇の目で見る男性が必ずいると思うからです。 洋服の上からも出来るようなものが開発出来れば1番良いのですが。
私のこの問題への基本スタンスは過去記事「赤十字講習その一」で書いた通りですが、上に引用した無記名氏(女性?)のような考え方は女性の間で特殊なのかな・・?と少し考えこんでしまった。

一般的意見ならAEDはより難しい作業になるし、特殊意見であっても安易に「命のが大事だろう!」とも言い難い。

このへんの感覚、他人に理解して貰いたいとも思わないけれど、万人にとって命(の尊さ)イコール必ずしも「生物的心臓の拍動」のみをさすわけじゃなかろう。

命とは「生の実感」の事だと思うけど、女性の心情を等閑しすぎな男性社会特有の当然観が怖い。廉恥や羞恥は生の実感を傷つける魂への侵襲と考える人もいるからね。

優劣など自明、といえちゃうのは合理主義・科学主義の傲慢。

AED処置をとる側の心構えや考え方のみに着目して処置を受ける女性側の心情に目を向けていなかった。

以下のようなアンケートがSNSで実施されていた。


正直いって、Twitterアンケートにおけるサンプル調査を私はまったく信用していない。

(回収率、許容誤差、サンプル数、サンプルサイズ、母集団の関係が不明瞭。)

そもそもTwitterアカウントに男女なんて属性ないじゃろが。

ともあれ数字を信用できるものと仮定すると27%が「多分」と肯定判断に留保を付けている。

「多分」とは「おそらく」などの可能性判断のこと。

以下、新明解国語辞典より引用

おそらく【恐らく】(副)

〔文語の四段活用の動詞「恐る」の未然形+接辞の「く」〕
そうならないかもしれないという、幾分かの疑念・ためらいの気持をいだきながらも、その実現を推測する様子。

「−不可能だろう/この分では−雨だろう」

次いで「許せないであろう」人が約10%存在する。つまり40%弱の女性がこの問題について不確かなスタンスなのだという事を男性諸氏は頭の片隅に入れておいたほうがよいかも。

う~む。難しい問題だ・・
(結論は出てるけど。)

これは葛藤するのが通常で、躊躇いなく「あるべき論」を言葉で断言する正義漢を私はあまり信用していない。

まあ、通電→火傷覚悟で下着の上から処置するという方法も考えられるが。

男性側のストーリーやコンテクストでのみ語られるAED問題。

命のほうが大事だろう!
痴漢扱いされるリスクがある!
大切なポイントではあるけど
これは全部男性の視点だよね

価値論として、人の実存よりも生物的「心臓の活動」が優越する。

・・それはそう思う人の信念信条だよな。まあ間違ってるとも言えないけど。

訴えられるリスク云々も結局は自分の身の上の話だしね。しかしそれでも多くの男性は貴方を助けようとするだろう。

その時、どうか許してあげてほしい。たとえそれが男子のわがままな信念であったとしても。

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