24-BLOG

雑文集

国旗損壊罪について思うこと

副題:保守だからこそ反対する国旗損壊罪。「もう一つの国旗」「もう一柱の太陽神」から日の丸の本当の意味を考える。

政治と宗教の話はタブー…とよく言われる。

特に政治談義は己の思想信条に基礎づく話である。多様な立場を唯一の解答へと収斂させるプロセスは多様な立場を捨象する課程と同義だから、市井の床屋政談は凡そ互いに意見表明する儀式で終わってしまう。

しかし、それでよいのだ。

民主主義とは自他の差異を上下秩序の中にではなく水平の中に認める思想である。この差異すなわち固有性こそが自己存在の証明であるから「万人の私」が自己存在を政治的営為としてかたりだすと万人の葛藤が社会へ撒き散らされてしまう。政治とは万人の自己肯定と他者否定を調整する作業なのだろう。もっと直截で下卑な表現をすると、闘争の坂道を容易く転げ落ちてしまう政治は皆疲れるし面倒くさい。だから代議士にそういった荒事を託しているのだろう。

これが間接制・代議制民主主義の意義なのだろう。なので具体的な政治問題には普段まず触れないのだが、どうしても信託のみでは看過できない政治情勢があり、私は「反対した。」という確固たる事実を未来の自分に残すべく、ここに記録しておこう、と考えた次第である。


さて、以下の動静がそれだ。

「どんな国旗も平等に尊重を」自民・高市早苗前総務相が激白!日の丸を踏みにじる行為「黙って見過ごせない」「国旗損壊罪」法案の国会提出目指す

「国旗を損壊するような行為は、黙って見過ごせない。国旗が象徴する国家の存立基盤を損なうばかりか、多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する」

https://www.zakzak.co.jp/smp/soc/news/210204/pol2102040002-s1.html
(産経デジタル zakzak)
日の丸国旗への侮辱目的損壊行為、これを禁ず。というものだ。
もう一度、提案の主「日の丸を踏みにじる行為を黙って見過ごせない」高市早苗氏の発言要旨を見てみよう。念のため付番した。
①どんな国旗も平等に尊重を‥
②国旗が象徴する国家の存立基盤を損なう‥
③多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する‥
私は保守なので、巷間飛び交う憲法的人権思想から反対を導くつもりはない。神道に敬意をもつ一人の保守として、保守らしい論陣を敷こうと思う。
※ちなみに私のスタンスは保守です。かつリベラル。両者は矛盾する…などと宣う人も存在しますが私はそのように考えない。

私の考え方は「宗教と哲学」に纏めてありますので宜しければご参考に。
また免罪符で言う訳でもないが、私は毎年靖国参拝しています。ちなみに記事本文に登場する自作の奏上歌には三種祝詞が入ってる。それくらい保守に理解のある人間。

とはいえ、上述した要点について保守的思考を披歴する前に、一応一般的な反論、というか意見を簡単に述べておく。

①について
外国旗のみ処罰対象と規定する刑法92条を念頭とした発言ではなかろうか。しかしながら、当該条文の保護法益は国家の対外的地位である。

国家のシンボルを不当に傷付ける行為は外交上相互の良好な関係を損ないうる。負の結果も国民へ還元されてしまうのだから、罰則を設けた回避措置を事前に講じ、一定の規制を敷いておくのは文明国として妥当な態度と言える。他方、自国国旗にはそれ(同様の保護法益)がない。つまり①については成り立たない。

②について
国旗が象徴する国家(の存立基盤を危うくする)とは何だろう。

③について
多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する…

実は保守の観点から意見を述べたいのはこの②、③部分についてなのですが、本論に入る前の系論として、憲法的人権思想の観点からも一つオススメ記事を紹介しておきます。

日本国憲法的「表現の自由」を根拠に反対する論者は世間に幾らでも存在する。というかほぼこの観点しかない。

一方こちらアメリカの例も「表現の自由」について述べた内容であるものの、合衆国憲法は日本国憲法と比べ理念が理解しやすく記者様の纏めもわかりやすいので参考までに。

〈アメリカ「国旗保護法」に見る、国旗を焼く行為と表現の自由の議論〉

刑法改正論の根拠として、アメリカでも自国国旗の破却は違法だという解説がされていますが、正確ではありません。

確かにアメリカでは1968年に制定された「国旗保護法(Flag Protection Act)」という法律があって、星条旗の破却は違法とされています。ですが、この法律は1989年の最高裁判決によって違憲判断がされており、またこの判決を受けて行われた法改正も、改めて1990年に違憲判決を受けています。そのために法律の効力は事実上無効化されているのです。

この1989年と90年の最高裁の判断においては票決が拮抗する中で、保守派の故アントニア・スカリア判事が違憲判断をしたことが決め手となり、5対4で法律は無効化されました。そのスカリア判事は次のような発言を残しています。

「自分は星条旗の破却には反対だ。だが、星条旗の破却という行為については、建国の偉人たちが暴政に抗するために制定した憲法によってその権利が守られているのは明白である」

「政府批判」の権利は奪われてはならない

「自分が国王であったなら、自国国旗の破却などを国民に許すことはしないであろう。だが、我々には憲法修正第1条すなわち言論と表現の自由がある。そしてこの自由はとりわけ政府批判の権利としては絶対に奪われてはならない」

https://www.newsweekjapan.jp/amp/reizei/2021/02/post-1214.php?page=1
(Newsweek)


では、本論参ります。

日本の保守は
本来リベラルだ!!

はい。これにつきます。
上の考えに納得いかない人は、保守主義と「国家主義、民族主義、国粋主義」それぞれの区別が付いていないのだと思う。

私は保守ですが国家主義でも民族主義でも国粋主義でもないですから。
現在日本に存在する(いわゆる)保守の多くは誤解しているようですが、本来日本の保守思想に西洋的絶対思考はありませんし、二値的序列観もありません。

正は誤に優位する
誤は正に劣後する
陽は陰に優位する
陰は陽に劣後する

・・しませんね。
少なくとも東洋では。

二値は不可分に根を同じくし、相対的である。陽の中に陰があり、陰の中に陽がある。そして陰陽互いを含み守り車輪のように循環する。

互いに相手の同一性のための前提を供給し合うことで形成される「一」の表裏でしかないのであって、そこに序列など本来あるはずもない。無理矢理切り離し縦に並べる思考は西洋だ。

神の中に悪魔は住み
悪魔の中に神は住む
善悪も同様

陰陽互根・陰陽相対
陰陽消長・陰陽転化

これを陰陽思想という。

陰は陽の基礎であり
陽は陰の帥である

陰は内に在り陽は之を守るなり
陽は外に在り陰は之を使うなり

逆もまた然り

ここで一つ、保守ならば知っておいたほうがよい大論争が明治の時代に為された事実を紹介しておきます。

〈明治維新に由来する皇典講究所の創立〉

この大教院の神殿には造化三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)と天照大神とを鎮祭した。7年には大教院解散に先立ち、後継機関として神道事務局が組織され、祭神は八百万神を加え引き継いだ。しかし、13年の神道事務局神殿新設の際に、祭神をめぐり、大国主神を合祀するか否かで神道界を二分する論争が起こった。いわゆる祭神論争である。

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/49355
(國學院大學メディア)
神道事務局は事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしたが、その中心を担っていたのは伊勢神宮大宮司の田中頼庸ら「伊勢派」の神官であった。 これに対して千家尊福を中心とする「出雲派」は「幽顕一如」を掲げ、祭神を大国主大神を加えた五柱にすべきとした。

【国家神道】Wikipedia

引用文の中に幽顕一如が出てきましたね。つまり陰と陽に縦の序列などないって事です。

本来は。

中央集権と国民教化のため天照大神を頂点とする政治体制が敷かれたものの、本来天津神と国津神に序列関係はない。むしろ※大国主神などの国津神こそが日本国(葦原中国)の原住民。日本神話に「国譲り」とあるように、優位者(天津神)が劣位者(国津神)から強引に主権を奪ったのではない。認めるよう国津神へ強要したのでもない。

対等対話によって国津神から正式に委譲されたのである。

信託されたのである。そういう設定(幽顕分任の神勅)が存在したはずでは。

以来、幽顕一如の言葉が示す通り、天照大神が顕界(顕露事=見える世界=現象界)の王ならば、大国主神は幽界(神事=見えない世界)の王として、陰陽一如で協力して国を守ってきたはずなのだが。

陰は陽の基礎であり
陽は陰の帥である

陰は内に在り陽は之を守るなり
陽は外に在り陰は之を使うなり

逆もまた然り
この「国が分断されないよう守ってきた設定」を不可逆的に破壊したのが明治政府の観念した国家観(皇国史観に基づく国家神道体制)と外見的立憲主義憲法の体裁で復活させた律令制(大日本帝国憲法)を墨守し引き継いできた国粋者達だ。

日の丸は太陽であり国号日本と太陽神(二柱)を象徴する。

日の丸の歴史を紐解けば、源氏は「白地赤丸」を用いた。

また徳川幕府は1859年になると日章旗を御国総標とした。

この時以来、事実上の国旗として内外に知らしめ運用しているのだから、国旗としての地位(国旗及び国歌に関する法律:第1条 国旗は、日章旗とする)を国法をもって日の丸に与えた事は大変よかったと思う。

しかしながら、国旗(白地赤丸)に平伏し頭を垂れるのも、背馳して思想上戦うのも、すべては日本に生きる諸個人ひとりひとりの問題だろう。

(後述しますが「日の丸」のメタ的理念はもっと高次です。)

思想的に抵抗したら犯罪になるなんて、高市議員、それ保守らしくないよ。

見えない者達(幽や陰)の声に耳を澄ませるのが日本の保守でしょうが。

日の丸には「赤地金の丸」だってあるんだ。声なき者達の観念する日本だって存在するんだ。

赤地金の丸

先に述べた以下への回答
(また冒頭、副題への回答)

②国旗が象徴する国家(の存立基盤を危うくする)とは何だろう。

③多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する…

太陽はすべて焼き尽くす炎にあらず
太陽はすべて平等に照らす慈悲の光
それは日の丸を憎む者へさえも届く慈悲の抱擁だろう。そしてこれこそが「太陽の国」日本の目指す、保守が復元を希求する本当の姿なんじゃないの?

日の丸に込められた理念や尊厳が、むしろ国旗損壊罪によって傷付くのですよ。

国旗損壊罪などというものが、国民統合のありかたを苛烈なものへ変容させてしまわぬよう願うばかりである。


追申:というか、他人様の財産(国旗)処分権を他人が国家を利用して規制しようなんて正気とは思えないし、他者の人権・財産を不当に侵害しない形であれば自己所有財産(国旗)をどう処分したところで罪に問われる謂れはないですよね。社会の誰からも。

↑人権論に全振りした場合のテンプレートも一応書いておきます。


※引用した高市議員の発言は夕刊フジの書面インタビューですが、議案の詳細は国会議員公式サイトから確認できます。

・サイトURL
https://www.sanae.gr.jp/column_detail1293.html

・アーカイブ
https://archive.vn/SYSnC


なお、私自身は日の丸に対して好きも嫌いもありませんが、相当の敬意はもっているつもりです。自分はへっぽこですが、大東亜戦争を戦い抜いた帝国軍人の孫でし。一応ね。


顛末

2021.04.06 枠内追記:議案アーカイブ
第180回国会(常会)
2012年(平成24年)提出
衆第一四号
刑法の一部を改正する法律案
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18005014.htm
https://archive.is/B1t28
2021.04.06 枠内追記:現時点では提出の確認がとれない…
第204回国会(常会)
2021年(令和3年)
議案の一覧
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/menu.htm#05


おまけ

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 皇神等の鋳顕はし給ふ 十種の瑞宝を饒速日命に授け給ひ 天つ御祖神は言誨へ詔り給はく 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむと 言誨へ給ひし随まに 饒速日命は天磐船に乗りて 河内国の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを その後大和国山辺郡布留の高庭なる 石上神宮に遷し鎮め斎き奉り 代代其が瑞宝の御教言を蒼生の為に 布瑠部の神辞と仕へ奉れり 故この瑞宝とは 瀛津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼の十種を 布留御魂神と尊み敬まひ斎き奉ることの由縁を 平けく安らけく聞こし食して 蒼生の上に罹れる災害また諸諸の病疾をも 布留比除け祓ひ却り給ひ 寿命長く五十橿八桑枝の如く立栄えしめ 常磐に堅磐に守り幸へ給へと 恐み恐みも白す
神武天皇東征よりも前の時代に天磐船で天降った神話の神、太陽神邇芸速日命(ニギハヤヒ)が十種神宝(天璽瑞宝十種)とともに天つ御祖(天地開闢における五柱の別天神)より授かったと伝えられる神歌。

すべての人の魂(天の数)を鎮める歌と伝えられる。

This illustration is based on a divine song said to have been given to the mythical sun god Nigihayahi, who descended to the heavens on a celestial panpane in the era before the Emperor Jimmu's eastern expedition, by the five separate heavenly deities in the creation of heaven and earth, along with ten kinds of sacred treasures. It is said to appease the souls of all people (the number of heaven)

三種の神器をたずさえ日向の高千穂峰へ天降った天孫瓊瓊杵尊(ニニギ)とは別系統になる。

ニニギは“天孫”
(神器三種)

太陽神ニギハヤヒは“天神”
(神器十種)
また日本という国名は邇芸速日命が国土を「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」と詠んだのが始まりだ。

※大国主神の「主」の字はキリスト教における“Christ Lord”Lordとほぼ同義になります。

普通名詞における Lord の意味は王や貴族のような仕える対象(上下関係)としての人を表します。一方宗教用語としての LORD は唯一神(神聖四文字は発音できない)を表します。

他方、汎神的多神観の日本では、大国主神大国(日本の国土)に御します八百万の神々の(上下ではなく中心から遍く敷衍するもの。敷衍とは、水が流れるように、また溢れるように、また満たすように、めぐりゆく事。)を意味します。

ここからも上下観念で関係を規律する西洋的世界観と水平観念を大切にする本来の(古い神道視点での)日本との異同を見て取れます。この日本的観念を決定的に破壊したのが明治政府だと私は先述しました。洋化政策の影響があったにせよ、中心となる(日本側の)思想的バックボーンは絶対的上下関係を強く説く儒教や儒教を先鋭化させた朱子学です。そしてこれら華夷思想の破滅的結実が教育勅語なのだと思えてなりません。

以下、新漢語林より引用。
画像は自作。

解字:象形。火ともし台の皿の上に火が燃えている形にかたどる。炷(シュ)の原字。

静止している炎の意味から、転じて、じっととどまって動かない中心的存在、ぬし・あるじの意味を表す。

天照大神のみに観念される日本しか存在しない…それ虚構でしょう。

日の丸は一つじゃないんだよ。

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