24-BLOG

雑文集

美しい物語の結末

副題:ある騒動を見つめて

「障害者に対する差別の禁止及び合理的配慮の提供義務について」厚生労働省

障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(平成25年法律第65号)

(事業者における障害を理由とする差別の禁止)

第八条
事業者は、その事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。

2 事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。

(1)合理的配慮の基本的な考え方
イ 合理的配慮は、障害の特性や社会的障壁の除去が求められる具体的場面や状況に応じて異なり、多様かつ個別性の高いものであり、当該障害者が現に置かれている状況を踏まえ、社会的障壁の除去のための手段及び方法について、「(2)過重な負担の基本的な考え方」に掲げた要素を考慮し、代替措置の選択も含め、双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされるものである。さらに、合理的配慮の内容は、技術の進展、社会情勢の変化等に応じて変わり得るものである。

(2)過重な負担の基本的な考え方
過重な負担については、行政機関等及び事業者において、個別の事案ごとに、以下の要素等を考慮し、具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要である。行政機関等及び事業者は、過重な負担に当たると判断した場合は、障害者にその理由を説明するものとし、理解を得るよう努めることが望ましい。

・事務・事業への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)
・実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)
・費用・負担の程度
・事務・事業規模
・財政・財務状況
配慮を求められる状況が「特別な負担」の引き受けとなる場合、対応側に相応の事前準備時間が必要となる場合も少なくない。
特別:専らそのことのためだけに設けられるなどして、普通一般のものとは同じ扱いが出来ない様子だ。

負担:その人の義務や責任の上からいって、 好むと好まざるにかかわらず引き受けなければならないこと。

新明解国語辞典
急なオペレーション変更は他のお客様を含め関係各所へも急な負担という形で波及してしまうから、調整する時間がどうしたって欲しい。これはマインド(理念)の話でなく現実の話だが、もしそれすら許されず、変則的事態の発生を常時念頭に置いた即応体制を敷かなければならないとするならば、人員・機材・設備の常駐・常備・常設を剰余コストとして事業者が負担施設する必要に迫られる。

しかし、これって国へ要求するならまだしも(事業規模や財務状況、業種業態にもよるが)民間に対しては前掲の過重負担に相当するケースだって普通にあると思うが。だからこそ努力義務に留まっているのだろうし、ここを感情的正義で等閑視して他方の事情を臆断する思考スキームは危うい。

コロナ騒動時のいわゆる「金か命か」論争にも通底するが、それぞれが抱える固有の実情を軽視する風潮はよくないと思う。

しかしたった一つ、これらを解きほぐす魔法があるのではないか。「事前に連絡する。

これだけ。

理想主義の人達が想像しているよりも、実態は企業も人も青息吐息で余裕がないのだよ。きっと。余裕がないから直ぐ喧嘩になる。余裕がないから心を配ってあげられない。この世に絶対的弱者などいない。ある領域では誰しも相対的弱者なのだろう。その領域が重なり合わないだけで。

白か黒かの二値論理で責め合って疲弊する社会はそろそろ終わりにして、妥協の意義や価値を再興できないものか。

妥協:両方の意見が対立している場合、 互いに折れ合って穏やかに話をまとめること。

新明解国語辞典
もっとも行政については義務規定だし、努力義務はあくまで民間事業者の場合だ。国策−特殊会社を出自に持つ大企業を純粋な意味での民間事業者と捉えるのもどうかとは思うけど。

***

私自身、今では自動車免許を取得できるまでに回復したけれど、幼児期〜青年期まで視力障害に苦悩する一身障者でした。これは私の人間理解の原体験なので、「バリアフリー」の理念が切実にわかる。泣けるほど。

けれど、理念とはそれを信じる人の心の中にだけ存在する現実には存在しない仮構物。つまりフィクション。現実世界の駆動原理は資本主義自由社会という大前提。つまりバリアフリーは原理的に社会の前提と矛盾する。そうすると社会主義へ転換するか妥協するかの二択しかないじゃん。

自分の信じる綺麗な理念が歪になったら嫌なのだろうか。

目に見えづらい矛盾
目に見えやすい美しさ

妥協する。他者と折り合う。

妥協とは相手の事情を互いに等閑視せず慮るってこと。これ抜きに社会が回るとはとても思えない。

雑感
車椅子のような持ち運びづらい100kg重量物を抱えて階段を昇降する動作は体勢が不自然・不安定になり危険すぎる。なので私なら事前連絡があろうと絶対に断ります。大前提、車椅子は力で持ち上げ運搬する作りじゃない。

(代替措置を提案し、それでも駄目ならお引き取り願うほかない。)

重量物の階段人力運搬は単純に「÷人数」で測れないし、階段での多人数移動はかえって重量分散が不安定化して危険。ましてや4人での運搬はかなり厳しい。いずれにせよ私なら、「運搬可能か可能でないか。」ではなく運搬者の「健康被害の有無」を最優先させて貰うけど、社会一部(理想主義者・正義マン・倫理道徳警察)や行政が、これを無茶な過重負担とは言えない「不当な差別」と認定するならば、万一事故が発生した場合の責任についても語ってほしいところ。

(労働災害になるのでしょうか。)

もしや国民基金設立でも主導して見舞金を渡すパターンかも?‥そんな自分達のリソースを割く高尚な提案が為されるはずもなく、戦前よろしく(社会一部の)崇高な理念のための殉教的名誉の負傷扱いで犠牲を黙殺するか、あるいは現場判断の過失不注意を殊更あげつらい、なおかつ理念の未達を殊更糾弾して終わるんだろうな。きっと。

他人へ自己犠牲や変革を求め口撃するばかりで自分達は何もしない。それが本邦の社会正義派だ。

100kg重量物の取り扱いは下手をすれば負傷程度では済まない。万一階段で転倒して下敷きになったら誰が責任とるの。

個人的には、件の鉄道職員は断ってよかったと思っている。労働契約法にも安全配慮義務規定があるしね。


理念は大切だけど、社会が悪い他人が悪いと囃したて、自己犠牲を他者へ無理強いする理念マウントに胸が痛む。十全な人間なんていないのだし、一々言挙げしないだけで歯を食いしばって社会の理不尽と懸命に戦い傷付きながら青息吐息で生きてるのは皆おなじでしょう。ましてや法が過重負担を法の要請から排除してる以上、多衆のそうした理解と共感を得られなければ当該規程に当為性や実効性は宿らない思うがどうか。

人間(他者)を理念の従物と捉える人がその振る舞いから得られる成果は多衆の共感なき原始的快哉がせいぜい。今回の一件、偽善は悪にすら劣る場合があることを改めて痛感した事例だったといえる。


2021.04.22 追記:参考資料

国の支援があってなお、維持費を含め膨大な費用が必要となる以上、今回のようなケースについては受益者負担の原則を敷衍して、つまりバリアフリー社会実現による受益者を個別サービスの利用者のみならず全国民と規定して、利用料金引き上げ等価格転嫁を通じた環境整備を考慮するほかないんじゃないか。

財務基盤の弱い中小零細など一般的なケースについてもバリアフリーを徹底するなら尚更だろう。

いずれにせよ、増税含めサービス利用料金や売価引き上げなど、必要コストの「負担受け入れ諾否」を国民全員が具体的態度で示してゆかぬ限りは事態の劇的進展は“望めない”と思う。

・・「望めない」の主語は誰なのかがよくわからないけども。

追記:法改正されました

2024年4月1日(2021年5月改正)より改正:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律第八条第2項が施工されます。

改正内容は以下の通り。

従前【努めなければならない】とされていた合理的配慮が【しなければならない】へ改められています。条件【負担が過重でないときは】については変更ありません。

障害を理由とする
差別の解消の推進に関する法律

旧)事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。

新)事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。

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