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タイ北部に伝わる民間不妊療法を日本で伝えるカルサイ・エヴァンゲリストの日記

社会は陰陽オセロ

『儒教に触るとみんな変質する。仏教、道教、神道‥国でさえも。結果論ではあるけれど、かつて日本を破滅させた国家教学が儒教(朱子学)である。』と前回記事「胡蝶の夢に観るもう一つの生きかた」に書いた。

今回はもう少し踏み込んで、その思想は一体どのような具体的形をとって社会的に浸透していったのかを歴史的文書の中から探してみたい。

もっとも端的で参考になる典籍は幼學綱要。教育勅語の下地となった勅撰修身書である幼學綱要(幼學綱要 岩波文庫
https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000000705991-00/
国立国会図書館サーチ)は儒教主義に基づく皇国思想に貫かれており、普遍かつ不易の最大倫理規範として「忠節・孝行」の二つを国民に求めた。

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幼學綱要 岩波文庫

〈孝行〉岩波文庫本九頁
天地ノ間
父母無キノ人無シ
其初メ胎ヲ受ケテ生誕スルヨリ
成長ノ後ニ至リ
其恩愛敎養ノ深キ
父母ニ若ク者莫シ
能ク其恩ヲ思ヒ
其身ヲ愼ミ
其力ヲ竭シテ
以テ之ニ事ヘ
其愛敬ヲ盡スハ
子タルノ道ナリ
故ニ孝行ヲ以テ
人倫ノ最大義トス

〈忠節〉岩波文庫本二八頁
宇内萬國
國體各々異ナリト雖モ
主宰有ラザルノ民ナシ
凡ソ人臣タル者
其國ヲ愛シ
其君ヲ敬シ
其職ヲ勤メ
其分ヲ盡シ
以テ其恩義ニ報ズルヲ以テ常道トス
況ヤ萬世一系ノ君ヲ戴キ
千古不易ノ臣民タル者ニ於テヲヤ
故ニ臣ノ忠節ヲ子ノ孝行ニ竝ベテ
人倫ノ最大義トス
この他、大倫理として和順が並びます。「夫は其の外を治め、婦は其の内を修る者なり。」とあり、これらを併せて「三綱」という。

念のために断っておきますが、これら思想の良否について何某かの主張を開陳したいわけではありません。私個人は運巡り家庭環境が幸いしたのでしょう、子が親を慕う心は自然だよなぁ‥と感じられますが、とはいえ国家が一々明示して強いるものでもないでしょうし、忠節のくだりや三綱発展系の教育勅語を眺めてみると、江戸時代に国家教学として取り入れられた儒教(朱子学)スキームが、令和の現代までをも貫き諸個人の自由な精神活動を妨げる観念型としてなお作用している現実に、当惑とは言わないまでも複雑な気持ちになります。これは失敗した理念スキーム(いわゆる若者や女性を犠牲にする社会を正当化するスキーム)であるのは明らかですし、この認識を組み込んだ理念型が現在の日本国憲法なのですがね。う〜む。

男性のあるべき型、女性のあるべき型は儒教によってすべて規律されています。

また私はまったく支持していませんが、儒教(朱子学)思想を先鋭的に具体化させた差別正当化の教え(上下定分の理)を一応載せておきます。ちなみに林羅山は神儒一致思想を説く儒家神道の人です。

〈上下定分の理〉林羅山 春鑑抄

天は尊く地は卑し。天は高く地は低し。上下差別あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ。その上下の次第を分て、礼義・法度と云ことは定めて、人の心を治められたぞ。

今なお根強い歴史的呪縛「男尊女卑・女必従夫」観念は、この上下定分の理に至ってより堅牢な正当性を獲得してしまう。自然の摂理なのだと。

冒頭で書いた通り、儒教は触れるものすべてを変容させる。陰陽論はもとより林羅山の神儒一致思想は神道をも歪めた。本来の陰陽論は陰陽を序列づける思想でないのです。

太陽が世界を照らし夜が安息を与えるように、また明けない夜のないように、世の自然現象すべてをこの相互の「相対・制約・循環・転化」の性質から読み解こうとする、自然観察から帰結されるであろう説明原理に過ぎませんでした。

天と地の関係を序列づけ、それを社会関係に適用し摂理などと大上段に宣う行為は人為であって原理ではないですから。

仮に地球から重力が失なわれたならば、天は暗黒の奈落でしかありません。太陽だって地獄の業火でしょう。

・陰陽互根
陰あれば必ず陽あり。逆も然り。
双方互いが存在根拠である。

・陰陽制約
本来自然がもつ陰陽の均衡制約作用。

陰虚すれば陽虚し
陽虚すれば陰虚す
陰実すれば陽実し
陽実すれば陰実す

※コインの表裏でイメージすると分かりやすい。表面を視覚認知している時、必ず裏面も反対側に現れている。見えないだけで。側面を視覚認知している時、表裏ともに現れていない。

・陰陽消長
陰陽の量的な変化。

陰虚すれば陽実し
陽虚すれば陰実す
陰実すれば陽虚し
陽実すれば陰虚す

※24時間の昼夜循環でイメージすると分かりやすい。

・陰陽転化
陰陽の質的な変化。

陰極まれば陽となり
陽極まれば陰となる

・陰陽可分
陰陽それぞれの中に必ずまた陰陽がある。

陰中の陽・陰中の陰
陽中の陰・陽中の陽
このように、本来陰陽論は事象を序列づけるための思想ではないのですが、差別の教えである儒教に触れるとこうなります。
天は陽。地は陰。
天は高く地は低いは自然の理。
男は陽。女は陰。
ゆえに男尊女卑。女必従夫。

陰陽学説に則れば、女性の社会進出は自然の道理でしかなく、また経済についても戦後社会は陰陽転化の必然としか言えないのだけれど、社会の集合無意識が転化を拒否しているようにも見える。無理矢理封じ込めると社会が歪み壊れてしまうのですが。

儒教によって価値観を誤りなお影響下にある日本は愛子内親王殿下の御即位によってようやく戻るのかもしれない。

本来の、自然の循環に。


補記
神道の世界観に上下観念である「天は尊く地は卑し。」を持ち込んだのも儒教。皇国史観によって国津神(先住民)は天津神(神武王朝)に服する存在にされてしまった。八百万の神々に上下秩序など存在しないのが本来の日本であったのにね。

この意味では上皇陛下が見事に本来の天皇の御姿(かんながら)を体現されていました。

神道とは随神道のことです。
「かんながらの道」とは、自然へ人為を持ち込まず、自然のままに生きる、という意味です。

古事記に『天の石屋戸に槽伏せて蹈み轟こし、神懸りして、胸乳をかき出で裳緒を陰に押し垂れき。』とあるように、天安河原で八百万の神々を前に、いや天の岩戸越しの女神天照大神を前に、現代でいうところのストリップを、女神天宇受賣命が舞ったのだ。

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こうして天宇受賣命の活躍によって日本に光が戻った奇跡を神話は描いている。(もちろん寓話として。)ここでは貴賤や上下など無く、また男女による差別もない。

きっと、この時の無差別の光をうたい“アマテラス”というのだろう。

願わくば(戦後保守が復元を望む)差別の教えである儒教朱子学に基づく日本ではない、随神の心に基づく差別のない本来の日本に回帰しますことを。