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意識の境界線

大した話でもないのだけれど、有限と無限の違いについて、結局のところ無限は思惟空間(情報空間)の中にしか存在しないのか?…などと昨日の夜考えていた。ビール飲みつつYouTubeで「○し屋イチ」鑑賞しながら。

エグかったが、数字が脳半球を一緒に回っていたのでメモ。


※仏教用語としての思惟
禅瞑想により無量空処・識無辺処に入る般若の作用。般若とは、無や空を明らかにする無明を照らす灯火のこと。

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私は自然数という語の語感が好きだから、以下自然数と表記したいのだけれど、これは数学の話でもないし表現より字面を合わせたい。なので整数を使う。

整数{123456789}
偶数{2468}
この記述は人為操作だ。
つまり有限を表している。

この世界では、偶数君が整数君の濃度を上回る事はない。整数君が濃い〜ぃ世界だ。

整数{123456789...
偶数{24681012141618...
限定を外す。つまり無限定。
ここは人為操作。仕方ない。

そうすると、整数と偶数は1対1対応(one-to-one correspondence)の全単射を結ぶ。写像が美しい。

この世界では整数君も偶数君も同じ濃さを持っている。

また人為操作する。

整数{123456789}
偶数{2468}
・・・深い意味はない。
いつだってこのブログに深い意味なんてないのだが、根本仏教の説く「無(一即多)」をわかりやすくイメージする方法として全単射写像を使えそうな気がする。

仏教の「無」は自他(他は他人ではなく他者)の因陀羅網。すべてが写し鏡のように十十無尽に繋がり“ある”自我を組成する他者の要素集合と考えるから。

う〜む。微妙か‥?

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