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庇うつもりはないけど

〈副題〉
相変わらず宗教然とした社会

2021.07.28
枠内追記:辞職の意志を示されたようだ。なんとも後味の悪い結末。今般の件、ある思想の評価とは独立に作動していなければならない大切な原理が妨げられたように思う。「ある思想」には如何なる思想を代入してもよい。政党は思想結社とはいえ公党であれば必ず根本規範に据えなければならない原理。これはいわゆる党綱領よりも上位です。また別の機会に続編記事を書きます。リスクしかないので書かないかも知れない。

2021.08.13
追記:やはり書くのは止めておきます。


以下、過去記事「正しい恋愛の形という錯視」から転載。

補記

過去記事「キモいという言葉」で自己言及した通り、私は戒に触れる行為をよしとする道には立たないが、それは私の道でしかない。現行法を守ったうえの真摯な交際関係をも一律に不当視しようとする、一方通行の感情的・機械的道徳論を他者へ向ける民主主義がいささか不憫に映る。そこで、本邦における「青少年健全育成条例」は真摯な交際関係とそうでない関係を現在どのように区別し、また司法行政の場では「○交」をどのように解釈運用しているのか?ついて、最高裁判例と警視庁ホームページから確認できる範囲で紹介しておこう。

事件番号:昭和57(あ)621
事件名:福岡県青少年保護育成条例違反
法廷名:最高裁判所大法廷

www.courts.go.jp
警視庁HPアーカイブ
https://archive.is/p0uGi
(2021年現在)


・・最高裁は限定解釈の立場であり、警視庁もこれを踏襲しているようにみえるが。

この手の記事は特に回りくどい書きかたになってしまう。

あの時事問題には触れるつもりはなかったんだが民主主義があまりにもおかしい。あの問題とは本多議員のあの件のことだ。

そこで氏が世間から誹謗中傷を受ける発端となった問題発言を幾つかオールドメディアのアーカイブから引用してみよう。

※引用文中の伏せ字、フォント強調は記事投稿者によるものです。

2021/6/7付 産経新聞
立民・本多氏コメント全文
「私の発言は不適切」

立憲民主党の性犯罪刑法改正のワーキングチーム(WT)での「50歳近くの自分が14歳の子と○交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」との発言に関し、本多平直衆院議員と福山哲郎幹事長が7日夜に発表したコメントは以下の通り…

引用元アーカイブhttps://archive.is/rOq34

2021/7/13付 共同通信
立民、本多議員の党員資格停止へ

本多氏は「50歳近くの自分が14歳の子と○交したら、同意があっても捕まる。それはおかしい」と発言した。

引用元アーカイブhttps://archive.is/SgSRL

2021/7/14付 毎日新聞
立憲、調査報告書で言動を強く批判

外部講師に反論する形で「50代の私と14歳の子が恋愛した上での同意があった場合に、罰せられるのはおかしい」と発言した。(中略)対策委のヒアリングに本多氏は「『架空の存在、年齢差のある恋愛は存在しない』という(外部講師の)発言があったので、リアルな『私』という人間が主張しても全否定するのかという問題提起だったが、大きな誤解を与える発言だった」などと釈明。

引用元アーカイブhttps://archive.is/4qFWP

いずれも立憲民主党の性犯罪刑法改正ワーキングチーム会合で出た同一者の発言だ。にもかかわらず、毎日は正確だが産経共同はそれぞれ微妙に着色センテンスのニュアンスが異なる。

他のメディアも似たりよったりだ。なぜだろうか。その僅かな違いを作る事で、まさか発言の意味や意図、動機を誤導したい訳でもあるまい。

f:id:pcm-puls:20210714074309p:plain

私は氏を擁護したい訳でも弁護したい訳でもない。また彼のような主張に賛同もしない。

しかし冒頭示したように、現行の社会ルールは法律を守った上での真摯な恋愛交際に基づく行為については「○交」とは扱わずに公的批難の対象から除外している。

なお、ここでいう「○交(A)」と、某議員発言にあるとされる「○交(B)」とでは伏せ字に当てはまる語が異なります。

このあたり重要で、伏せ字が分かりづらいのでA,Bとすると、氏の発言から「恋愛」の2文字を抜くことで、Aのニュアンスを強めようとしてないか。

無論、個々人の道徳観に基づく論評が公人に向かうのは仕方ないものの、氏は立法者として外部講師発言へ反論するダイアローグの中で、「場合」という語を用い場面を限定仮想した上で登場人物を「私」で喩えたにすぎない。更に指摘しておくと、毎日の引用が正確なのであれば氏は直接明示的には「○交」という言葉を使用していない。

(つまり文言を「恋愛」と差し替えたとの推定も可能。)

このような発言内容から特定の嗜好を憶測し断定しそれに基づき批難誹謗するのは論評ではないし、発言内容を改変して批難するならもはや悪意の中傷だろう。

もういい加減、同意年齢の再設定問題と道徳は切り離したほうがよいと思う。

前者は科学的量的評価の問題。
後者は正答を一意づけられない多値問題。

キリスト教・仏教・儒教等の「戒」が社会各層を介し無宗教(Good Without God「神なき善」)の形をとって個人へ内面化・潜在し、潜在したものを定言命法として自覚する作用がいわゆる倫理道徳。

上に列挙した所謂宗教の中でも神道は例外です。神道は道徳を説かない。自然へ自然のままに寄り添うのが神道。もし道徳を教える神道があったらそれは本来の日本神道ではありません。青年達を特攻へ追い込んだ天皇中心の儒家神道です。
ここまでは内的規範なのでギリギリセーフ。

でもね。これを他人へ向けて主張という形で無理強いしたら、もはや正真正銘の宗教になってしまうよ。

前々回記事「領域展開」でも書いたけれど、同意年齢適正値について経験科学や実証論の範囲で議論が発生するならわかるのだけれど、(自分達が直感的に信仰する)道徳の正しさを議論、いや話し合いすら認めず他者へ一方通行に強要するって。

「話し合う」という作法と儀式を要せず諾否なく法の定めなく一方的に他者へ強要可能な絶対規範が社会にあるのだとしたら、憲法も国会も民主主義もいらないのだよね。

そのなにものをも差し置いて存在するア・プリオリな絶対規範とやらを直感直覚できる神の代理人(王や神官)さえ居ればよいのだから。

中世宗教社会から近現代民主社会への移行すら未だ成らず。

主権の所在が

個人を超越する“神の代理人”」

から

個人を超越する“私達”」
個人を超越する“国民”」
個人を超越する“社会”」
個人を超越する“時代”」

へ移っただけだった。
これら「個人を超越するもの」によって他律的に一意づけられる実定道徳が「個人主義によって成る」自律的な民主的実定法を超えて実効力を及ぼす社会。


2021.07.16
追記:立憲民主党第28回常任幹事会資料「調査報告」の中で、某議員を指して氏を「認知の歪み」と表現する箇所(6-4)がある。

Wikipediaによるとバーンズは「認知の歪み」について以下の10パターンを挙げている。

①全か無かの思考
②行き過ぎた一般化
③心のフィルター
④マイナス思考
⑤論理の飛躍
⑥拡大解釈(又は過小解釈)
⑦感情の理由づけ
⑧~すべき思考
⑨レッテル貼り
⑩誤った自己責任化

⑪論点先取の虚偽(宗教思考)
※投稿者追加
批難者は氏の発言を改変した上で①,②,③,⑤,⑥,⑦,⑧,⑨,⑪によって認識を構成しているように見える。

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