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祖父と靖国

〈副題〉
May the world be at peace.
(安らかな蒼生の世を願って)


靖国を詠むシリーズ

第一投
いま、会いにゆきます

第二投
慰霊に思う

祖父と靖国

小学校の頃、一度だけ祖父の背中を見た記憶がある。一緒に風呂入ったときか。一緒に風呂入ったのが一度しかない、という意味じゃない。

日本語なんか変だ。
だがこのままいこう。
もともと国語得意ではないし。

祖父は無口な人だった。
男は寡黙であれ、を地でいくような。

言葉のもつ重さと責任を弁えていた最後の世代なんだと思う。

人の悪口は絶対に言わなかったし、社会への不平を口にした事もない。

戦争への贖罪を持ってはいたが、陛下や日本人を貶めるような事もなかった。

体中に銃痕があったので、「これなあに?」と無邪気に聞いたら、まだ子供だった私にニコニコ笑いながら、そして少し悲しそうに、いろいろ戦争体験について教えてくれた。

昔すぎてもうさっぱり覚えていないが、少なくとも美談ではなかったような。それはそうだろう。祖父の兄弟は海軍軍人として輸送機中で戦死している。

海上で撃墜されたんだと。
祖父は陸軍なので大陸組。

また戦争が始まるのだろうか。

そういえば、祖父は死ぬ間際まで働いていたっけ。瓶サイダーを自転車で配達する仕事。

日本陸軍の男は頑強なのだ。

自転車のイメージは旧ツノダ自転車タイプ(現在は不動産賃貸業)が一番近い。

いかにも昭和っぽいやつ。

これ他人からすれば本当どうでもいいエピソードだ。妙に渋いチャリンコが思い出深い。いま思えばもっと色んな話をしたかった。

自分は婆ちゃん子だったし爺さん仕事でいつも家にいないし仕方なかった。

靖国を詠む

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九つ星の祈り詩

あめつち遊う滴は
涙となって眼を禊ぐ
玉砂利ふむ音は
言霊となって耳を禊ぐ
邯鄲の声を運ぶ風に
荻の葉がこたえて揺れた
懐かしい記憶の匂いが満ちる境内

鈴虫に似た邯鄲の鳴き声は
祖父の自転車の呼鈴にも似ていた

どこへ生まれかわっても
私は花を捧げます
靖らかな蒼生の世を心に願って

幽世の大神
憐れみ給へ恵み給へ
幸魂奇魂
守り給ひ幸ひ給へ

文意

半蔵門線に乗り九段下へ向かう車中、ドア側座席から立ち上がり降車しようとした瞬間、だれかの忘れ傘が私に倒れ掛かってきた。

(なんで傘?)

天気をまったく気にしていなかった私は少し戸惑ったが、雨天を咄嗟に想像できず傘を立て掛け駅を出る。

あめだ・・

神社という神域に近づくと、身にかかる自然すべてが「ごしん」に溶け込んでくる。

詩の最後に書き加えた一文は出雲神語。最近の世相を思ったら自然に出てきた。特に小室圭氏と眞子様へ向けられた差別意識は凄まじかった。

天津神だけが日本人じゃないし、天津神の歴史や伝統文化だけが日本じゃないんだぞ。

幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)とは「わかれしもの、ひとつになりしもの」という意味です。
九の星とは九星のことです。
一白、五行:水(水を象徴)
二黒、五行:土(大地を象徴)
三碧、、

靖国への思いを九星にあてはめ作詞したら、世界をロマンチックに具現できるんじゃないか?

そんな野望から作ったのだけれど、何度点検しても九星とまったく関係ない内容に仕上がってしまった。

まあこんなもんですよ。
素人が作る詩だもの。

結び

帰り道、正門である神門をくぐるタイミングで・・

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小室圭氏と眞子様の首途を祝福しているようにも感じた。

わかれしもの
ひとつになりしもの

惟神霊幸倍坐世と

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