24-BLOG

雑文集

結婚会見感想

前回記事「祝いたい素朴な気持ちだけ」の追記

小室圭氏と眞子様の結婚会見を見た。兎に角よかったと思う。

古風な言葉で表現すれば臣籍降嫁又は賜姓降下、つまり賜姓皇族となる。伝統保守でない人(思想にフラットな一般人)なら単に皇籍離脱と表現すればよい。現行法制度の観点から観念される眞子様の今後の御立場は一私人に違いないものの、「実定法」以前に眞子様は天皇陛下の血族である事実について変わりないのだが、ア・プリオリな自然の事実を人間が設計思想で作った人為法で変更する事なんて不可能だ、と考える保守の眼目をやすやすと放棄できちゃう保守っぽい人が思想界隈に少なからず存在して、(今迄は皇族であったから批判を控えていたけれども)一私人にすぎない今後は徹底的に批判する、などとまだ粘着するつもりのようだ。

まあ皇室を人為の法制度と観念している時点で非保守だと思うけど、かように保守っぽいだけの無遠慮な振る舞いを、三綱五倫を人為にではなく不文法たる自然の理から見出した伝統保守思想が包摂してくれるのかね。

この話は結婚会見で終わってほしかったが、(一般人の立場からフラットに述べると)眞子様は一方的に奪われていた人権を遂に回復するのだから、人間ならば当然に行使可能な人権侵害への防御権をフル活用なさればよいと思う。あとは司法が判断するだろう。

小室圭氏もAttorney志望なのだし。NY州司法試験を合格されたようだし。(2022.10.26修正)

改正プロバイダ責任制限法も無事成立。侮辱罪は懲役刑が導入されるなど法定刑も見直されるようだし名誉毀損のように事実の摘示がなくとも侮辱は成立する。公益目的だから、などの言い逃れも通用しない。

現代社会において、まっとうな批判言論を憚る必要など民主主義社会の作法上は存在しないけれど、自己の立場を守らんがため同定可能性を排除してする特定人への不実な中傷言論を「まっとう」などと評価する必要はもっとない。

あるあるの「国民の声は誹謗中傷なのか?」といったライター構文・マスコミ構文も不誠実。

国民へ抽象化された声が誹謗中傷に該当するわけないだろう。

それが「わかっている」から国民の名に隠れて石をぶつけるのでしょう?

この問題、特定思想に立たない価値中立の視点含め、一体いかなる価値前提から立論すれば他人の婚姻に干渉する穏当ならざる言説を正当化できるのか、について学術の世界で真面目に取り上げてほしいところだ。

皇室保守の立場ならストレートに逆心だし、広義の伝統保守に立っても人倫(五倫)への違背だし、人権主義の立場なら皇室条項自体が人権侵害だし、価値中立視点ならただの人でなしだ。

国民の税金生活論の立場なら、そもそも国民自身が皇室の「財産を没収」した挙げ句に「経済活動を制約」しているのだから、皇族方に税金で暮らして頂くのは当然の帰結でしかない。

それが嫌ならこれら人権侵害を即刻やめるべきだろう。

・・執拗に付きまとう理由。

おそらくカタルシス又は飯の種だから。江戸時代の親子連座制概念まで持ち出して、他人を責め立てるためなら何でもアリかよ。生家の素行を心証評価を超える形で個人の品評に影響せしめんとする積極言論はその時点でもう批判じゃなく政治運動・門地差別だろう。

ターゲットにされた個人は人生吹き飛ぶから、そりゃこんなんじゃ法規制も強まる一方だ。

彼は立派に振る舞った。

だが伴侶も生家を離れたのだし今後ストーカーに対しては裁判に訴えたらよいよ。米国まで付きまとう輩とか。そうなったら現地で裁判になるのかな?

仮にそうなった場合、せめてもの願いがある。米国の裁判所で被告席に座る人は、日本国民の名を使って釈明するのだけはやめて下さいね。

‥恥ずかしいから

© 24-BLOG Repost is prohibited
I'm in a contract with Mikata 弁護士保険