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結局は世界観の違い

前回投稿「爆轟に沈む不沈空母自由丸」の補記になりますが、直接は繋がってません。


私の観念する自由は、何でもかんでも同じ座標の一点に重なり合うようなランチBOXじゃないのだと改めて考えさせられた。

私の観念する自由は適材適所というか、風流にいうと「やはり野に置け蓮華草」あたり。

やはり野に置け蓮華草

蓮華草は野に咲いていてこそ美しいのだから、摘み取らないのがよい。草木も人も本来あるべき所でそのまま愛めでるのがよいというたとえ。

出典:ことわざを知る辞典

山の神様は山にいる
海の神様は海にいる

太陽神と雪の神様を無理やり一緒にして「誰もが保護される差別のない自由世界」といえちゃうのだとしたら、もう根本の世界観が違いすぎる。

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言葉はそもそも世界を分別(差別)する存在。

xyz座標空間にr,θ,Φで表される位置Pを存在と定義すると、彼等のいう無差別世界とは存在を原点Oへ押し込める事なのか??

う〜む。
やっぱり世界観が違う。

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