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燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

副題:陳勝涙目

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暗喩的誹謗中傷なるハードな言葉が飛び交っている。どういった経緯で出現した言葉なのか事情わからないけど、要は誹謗中傷ダメ!絶対!!系の話か。

あと暗喩的ってなんだ。

暗喩による誹謗中傷とは違うのかな。解釈に幅を持たせるために敢えて「的」を入れたのか。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」といった類の嫌味ったらしい喩えマウントもアウトになる日が来そうだ。

(使ってる人見たことないけど。)

まあ実戦でのメタファー爆撃って意外と高度な技術を要求されるから、実際はもっと直截表現に偏るよね。たとえば「馬鹿」とか。これも(頭の程度を動物で喩えているから※1)暗喩といえば暗喩だろう。暗喩的誹謗中傷というよりタダの悪口だが。

「貴方の頭脳DX2ですね。」これはワンチャン釈明の余地ありそう。左を赤と表現したら換喩的誹謗中傷と怒られるのか。

(表現しないけど。)

ところで「馬鹿」は典型だと思うけど、言葉には言葉の評価に還元されうるコミュニケーション(意図、目的、状況、関係、感情、機微など)が先ず人間同士あるわけで、「馬鹿イコール悪口」なんじゃなく、悪口として機能する「文脈」もある又は「馬鹿」は概ね悪口として機能する。が論理的な捉え方じゃ。 

そして「馬鹿」は悪口というより軽口の範疇、が私の感覚。

まあ一般論として誹謗中傷よくない、はその通り。

でも言葉の「生きた意味」ってコミュニケーション当事者の実際の文脈と実際の解釈の中にしか現れないのでは。

そういった当の実感に先んじて、ある特定の言葉を「言挙げすべきではない」とする発想や解釈の横取りは、宗教家の説法(倫理・道徳)としてなら理解できるけど、表現の自由とは相容れない思考だと思う。

個人へ向けられる悪口は見ていて嫌だし、そう感じられる自分の感覚を信じているからこそ「誹謗中傷はよくない。(個人の感覚)」と憚りなく言葉にする私だけれど、「絶対に言挙げしてはならない。(規範・宣言)」とはいわんし言えない。

両者は似て非なるもの。

過去記事「キモいという言葉」と被りますが、やむにやまれず(仮に訴えられるとしても尚)発する罵倒としての馬鹿もあれば愛嬌混じりの馬鹿もある。

そういった泥臭く人間くさい生きた言葉の脈動を、言葉狩りの如く叩いてまわる表現の自由って何なんだよと。

益々混迷していくネット誹謗中傷問題と表現の自由。ええ..

***

※1)指鹿為馬の故事を馬鹿の由来とする説もある。

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