論争の場においてわりと言われがちな「どっちもどっち論。」これを第三者から冷笑的に使われると当事者同士の正常対話を難しくする場合がある。
論理射程は異なるものの、いわゆる「お前だって論法」に通底する誤謬感を覚える。
喧嘩両成敗の発想なのか。
これTPOや目的によってはわかるんだけど、原則的な考えかたとして「どっちもどっち」と言うためには結果に至る動機(動機形成に至る実情)や目的など事情とこれへの理非を捨象した共通要素の抽出が必要。
たとえば「不当に殴りかかってきた範馬勇次郎氏への反撃」も「合意決闘で行われる反撃」も両者また前者は双方について、いずれのケースも有形力を行使している点のみ着目すれば「どっちもどっち」には違いない。
相対化は異なる視点の提供(上の例なら前者の範馬勇次郎氏の言い分)という意味において意義のある思考法だが、当事者の争う具体的事実を安易に抽象化してまとめたがる第三者は近くに置かないほうがよいと思う。
無論、TPOや目的にもよる。
たとえば重要な式典や祭事で上のような災害が発生した場合、秩序回復の緊急性と比較衡量すれば先ず(事情をスルーして)両者を場から排除すべきであって、この限り喧嘩両成敗の判断は妥当に思う。
あと、当事者にとっては迷惑になるかもしれないけれど、和解仲介などポジティブな理由があるならこれも思考技術としては理解できる。