副題:憲法に優位する超規範の存否と安保の虚飾
ウクライナへの祈り戦禍に斃れたすべての人々に対し、心から追悼の意を表します。また、ウクライナの地に一日も早く穏やかな日常が戻るよう願って已みません。
双方に、武器を置く日がどうか訪れますよう。
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以下、前回記事「避けられぬ未来なら」より全文転載。
憲法98条2項
日本国が締結した条約及び確立された国際法規はこれを誠実に遵守することを必要とする。
昭和34年11月17日(第33回国会参議院予算委員会会議録第4号)政府答弁において、二国間の政治的・経済的な条約については憲法優位であるものの、降伏文書や平和条約といった一国の安危にかかわるような条約は憲法に優位すると林修三内閣法制局長官(当時)が明確に述べている。
以上は本邦における98条2項の有権解釈ですが、現在も引き継いでいるのでしょうか。
あるあるの9条改正賛否アンケートに私があまり関心もてないのは、これがあるから。
上有権解釈の文脈から戦後史を鳥瞰してみると、「9条があるから日本は国際紛争から守られたのだ。」を外交的に外れた認識とまでは言えない。
国民議論の俎上に憲法98条2項改正又は解釈変更の要否また是非を載せる誠実な政府が存在してない以上、9条改正の賛否を問える段階じゃないと思う。
私は頭悪い人間です。ですから解釈変更に無知なだけ、という可能性もある。杞憂ならよいのです。そうある事を願います。
ウクライナ問題、大国(軍事ブロック)介入などで戦域が拡大しない限り、(ひとまず)大戦にはなりようがないと思う。
欧米や日本はウクライナに冷たい印象受けるけど、欧米や日本がウクライナへの支援様態を限定する意図は大戦化回避を主眼に置いているからでは。
ところで、幸か不幸か自動参戦義務条件付き防衛条約や防衛ネットワークを持っていない日本国。ブダペスト覚書と同様日米安保も安全保障を看板に掲げちゃいるが、米国に日本防衛義務など存在しない事実。とても他人事とは思えない。
置かれた国際環境や背景違うけど、大前提として自主防衛力は大切だなっと。
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約これ日本の安全保障にコミットメントすると言ってるだけで、仮に政治的声援のみであっても違約にならない。「対処する」のでなく「対処すように行動」すればよいのだから。そしてこの条文のハイライトは「自国の憲法上の規定及び手続に従つて(連邦議会による戦争権限決議)」の箇所になる。防衛義務が存在しているならば、こんな婉曲的な書き方にはならない。
第四条:締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。
第五条:各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
以下にNATOの例をあげる。
NATO条約上防衛条約と異なり日米安全保障条約は日本の国土を軍事利用する権利を第六条で米国へ一方的に約束する条約。また日本を極東(大体においてフィリピン以北、並びに日本及びその周辺地域で韓国や台湾の支配下にある地域※1)紛争にコミットメントさせるための条約。
第5条:締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。
したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。
平成八年五月十日受領答弁第一五号
内閣衆質一三六第一五号
平成八年五月十日
内閣総理大臣 橋本龍太郎
衆議院議員山本拓君提出日米安保条約等に関する質問に対する答弁書より
必ずしも上区域に局限されない旨、明確に述べられている。関心のあるかたは下記へ直接アクセスしてください。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b136015.htm
日本がウクライナと類似する状況に遭遇する確率は高くない。
危機を煽る為あえて共通点を抽出して類似化させる人は存在するし、抽象思考しかできない単純人間もいるだろうけれど、日本とウクライナでは客観的数値に基づく国の経済規模や世界経済への影響、また国際環境に違いがありすぎる。防衛力も比較にならない。問題なのは日本自体でなく日米安保の定義する日本周縁だろう。
思想補正や解釈を排した客観的数値のみ評価すれば日本は国際秩序に対し能動的立場をとりうる大国ですから「9条が日本を守る」の真意は「9条は日本国への脅威を防ぐ盾」という意味でなく「9条を、国際秩序への能動的立場要請を拒む根拠」として機能せしめる、という覚悟の宣言だと思う。
このような理解は目立っていなかっただけで昔からワリと普通に存在していた。私はこれを臆病者や卑怯者であるかのように誹る言説に与しない。
これは日本の防衛力を国際秩序にどの程度関係させるか、させるべきかの話。これは無限に国富を発散させ日本を破滅させた戦前でリスクを実証済みですから、戦後日本はこのあたり周到に得失を考慮し、関係値を高めないよう改正留保してきたんじゃないの。
国富の無限発散。
左右問わず、国富は「国民の労力とその蓄積」である点を失念しちゃうんですよね。いやはじめから念頭にないのかも。
純粋な国防(=自己防衛)と国際紛争を区別するのは比較的容易に思う。一方国際紛争へ国益というパワーワードを被せ国防文脈で語るのはもっと容易。
たとえば、ホルムズ問題や台湾問題は「国防それ自体でない」ものの、国益に強くかかわる国際紛争と評価可能ですよね。
日本経済は世界情勢の影響を逐一受けるんだから、そりゃ。
・・まあ、ここまではわかる。
では仮に(そんな事態ありえないと思うけれど)バシー海峡から日本海運が完全排除された場合、又は対抗した場合、それぞれのケースそれぞれの対抗体様で発生しうる日本社会の損耗や物価上昇また物流への影響等、社会や経済の被る得失としての具体的数字は出せるのか、彼ら。
それとも、経済措置含め国家行動の結果生じる得失を比較検討する基礎材料すら国民に提示できない観念レベルの話、もしくは価値観だの正義だのといった思想や情念レベルの話なのか?
いま戦前??
左右問わず、タカ派は国益(客観)を価値観・思想(主観)視点で語り、情念(感情論)に訴え拡張解釈する傾向が強い。
現にウクライナ問題でも対露経済措置の有無が対露関係および国際関係ならび国民生活や国防にどう影響を及ぼすか、その具体的説明は少なく正義がどうの価値観がどうのと道徳感情論ばかり先行する。
経団連会長:サハリンLNG事業はエネルギー安全保障を踏まえ関わり方考えるべき
引用元:TBS NEWS
(7日 16時26分配信)
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私のコメント
国の一極は最高頭脳が結集してるだけあって(ネット言論と違い)現実忘失を心配することなく安心してその言行を見ていられる。
国益とは価値観を追求することでなく数字のリアリズム。次の記事内容も現時点では妥当に思う。
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追記②:2022.03.10
岸田首相「エネルギー安定供給は国益」米のロシア産禁輸に追随せず
引用元:朝日新聞
(2022/3/9 18:32配信)
追記③:2022.03.19
政府、水産物禁輸見送りへ:対ロシア制裁、地域経済に配慮
引用元:時事通信
(2022/3/19 08:42配信)
追記④:2022.04.01
首相、サハリン2「撤退せず」衆院本会議で明言
引用元:産経新聞
(2022/3/31 18:07配信)
なぜなら、たとえ賛否が一致しようと後者を違えてしまうと(意味は変わらずとも)自国にとっての意義を変えてしまうからだが、価値観(自由・民主主義)の連帯を訴える一方で自国の民主的プロセスは軽んずるという、まるで(冒頭紹介した)林修三内閣法制局長官の国会答弁を想起させる状況。
正当防衛の「・・又は他人の権利を防衛するため」を国際紛争介入正当化のためアナロジーに接続する傾向も強い。
・・破滅的な発展可能性をもつ国家間紛争と私人間争闘をアナロジーで論じるのは些か乱暴では。これアナロジーに出来るレベルまで観点を限局して必要要素を抽出すれば、そりゃアナロジーにはなるんだよ。
だってそうなる事を目的とした論理操作なんだから。
(話を冒頭に返すと…)
日本国民の主体性を対外的に具現化した憲法を超える安保規範が日本に存在するのなら、9条改正の賛否を問う以前に政府はそこを説明してほしい。
改正9条が上安保規範に従属する存在に位置付けられるなら反対としかいいようがない。
祖国日本の大切な自衛隊員を粗末に扱う未来などあって欲しくないし、世論や政治家等に思想補正・価値観補正された分析で自衛隊員が犠牲になる未来などもっとあって欲しくない。
自己防衛の外側に存在する国際紛争を国益口実に内側へ引き付け国防名分で御名御璽(天皇陛下の名)を使って介入する日本に戻って欲しくない。
私は祖国日本のありようについて、領域防衛のための自衛権発動を除き、すべての対外戦争及び(その参加形態を問わず)すべての国際紛争・戦争に対する自衛隊関与を支持しません。
また自衛権発動三要件については急迫性・非代替性・一時性に変更してほしい。相当性は非合理すぎる。民間人相手の警察じゃあるまいし。
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まああくまで個人のスタンスですが、言い換えると重武装(核ぬき)中立ですかね。こんなの9条解釈で可能だし。
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ところで、戦争反対を表明する人は多いけれど、それによって(たとえば石油を失うことで)仮に国内の失業者が1000万人発生し、国際世論から非難されるとしても、いま戦争反対を表明している人らはなお立場を維持する覚悟、あるんだろか。
それとも戦争反対を維持したまま領域防衛でもない国際紛争・戦争への自衛隊関与を有権者判断として認めるのだろうか。
(いや理屈なんていくらでも立てられるとは思いますが。)
日本が石油利権を手放し国内失業者を大量発生させ世界経済を混乱させてまで理念を貫く選択をおこなった場合、国内のみならず国際世論も非難にまわるんじゃないか。日本の振る舞いは無責任だと。
かように「国際経済・国際安保」と「自国経済・自国安保」は複雑に絡むから、とどのつまり肯定も否定も同じくらい不安定で残酷な未来を引き受ける覚悟を要求されるんだが、ここぞとばかりウクライナ問題に限局して戦争反対を表明してる著名人(インフルエンサー)とか見てると戦争反対は誰の不利益とも結び付かない美しい理念くらいに錯覚してそう。
つまり、情勢次第で世論はたちどころに反転すると思う。
行け行けドンドンと。
コロナで世論がどう変化したかを考えればそう。積極的に個人(自由・人権)を後退させ国家(統制・制約)を前進させたように、容易に反対側へ振れる。
その意味でも、やはり9条(というより現行憲法)は必要だ。