副題:愚行権は欺瞞の理論
「たとえ本人がよくても…」演説中に女性触った猪瀬氏、その問題点
引用元:朝日新聞
聞き手・伊木緑
(2022/6/17 20:39配信)
応援演説時に猪瀬さんの手が私に触っていると話題になっている案件。朝日新聞の記者が取材に来られたので「特に当たっていない」とお応えしました。その後、動画を見た人から肩には当たってるようだと指摘されましたが、まったく気にしてませんでした。
— えびさわ由紀(日本維新の会 衆議院東京29区支部長) (@ebisawayuki) 2022年6月17日
当の海老沢氏みずから触れてない、気にしてない、と不問視してる話を「間違いなくセクハラ...」とまでいうならば、具体的他者へ向ける言葉である以上その結論へ至る理屈を丁寧に説明すべきだろう。しかしそれでも本人が否定してるのだから邪推やドクサ(doxa)でしかない。
文系の特徴って、主観と客観の取り違えや客観は主観の量で成ると信じてるっぽい所に出がちだけど、「間違いなく」って主観上の確信をあらわしてるのか客観(主観に依存せず独立するobject)として誤謬のない状態をあらわしてるのか一体どちらに力点を置いてるのだろう。
ところでこれらについて、ポルノ・エロティカ表現や性産業を愚かな表現である、邪悪な産業である、という人間の評価は主観上にあらわれる思惟だろうか客観の覚知だろうか。
主観と客観はその違いを人の能力で弁別できるけれど、主観と主観が並んだときいずれが絶対的に「正しい」かを人は原理的に見分けられない。なぜならそんなモノは事物(object)の性質でないからだ。
objectの性質上に実在するモノなら認識が実体(object)へどれくらい近似しているのかを測ることも可能。たとえば対象の形とか重量とか。なので異なる評価なり認識が並んでも、正誤(どちらがより近しいか)をジャッジできる。じゃあ対象の審美は。これはobjectの性質じゃない。審美の実体は「自己の思惟(主観)の中に仮現する美醜」なので異なる認識が並んだとき正誤をとれない。つまり上評価は思惟に基づきその人の内面に仮現する解釈でしかないということ。
というか「審美上の正しさ」を事物の性質にしてよいのか。人は物の従物なのか。主体(私)の放棄か。
これは本来のリベラル思考にある出発点だが文系は本当に主観と客観の違いをわかってないっぽい。
憲法にも13条で「“個人”の尊重」と書いてあるじゃん。社会的“人”に力点を置いてないでしょう。
主観vs主観のぶつけ合いで他者を私刑にかける消耗社会は疲れる。端的には宗教戦争という大惨劇を経験して発達したリベラリズムの歴史。
しかしこれらを翻して私刑や法規制で「正しさ」を一意づけようと逆張りするのが本邦リベラル。
・・いや欧米のリベラルもか。歴史を忘却し天に唾するとはこの事だよ・・
たとえばエロティカを“客観的に”愚かな表現というならば、理趣経は愚かさを含む経典なのか。日本はリベラル社会だから愚行権で認められてると?
冗談じゃない
キリスト教徒はいさ知らず
仏徒である私は同意できない
個人でなく「①人のあるべき姿」を②志向し③規定し④啓蒙(個人へ還元)しだすのは昔宗教、今倫理。③までなら自己律法の問題だが④は他者の律法とコンフリクトする。それを私刑や法規制で乗り越えようとしてないか。
憲法にも13条で「“個人”の尊重」と書いてあるじゃん。社会的“人”に力点を置いてないでしょう。
倫理学に擬態した宗教を学問的知見と宣い社会の場に持ち込み欧米権威主義の日本インテリ層がそれを知のスタンダードといって礼賛する。そして有ろう事か契合せぬ者の懐疑言論を反知性主義と唾棄し悪魔化。
日本に憲法13条があってよかった。
本当によかった。
一方で、たしかにセクハラとまで言えないが、立法府に身を置く(またはそうすべく行動している)者ならば、人々の期待する規範への垂範意識であったり品行方正を求められ、その意味で人々の意識とズレていたね公共圏コミュニケーションの表現場では不適切だよね(#゚Д゚)くらいのヤジリならわかるし、一般論、政治に身を置く人種が批判言論で感じるストレスを口外するとか自身への批判に傷心で泣きを入れるとか論外と思うから、資質を見定める側は遠慮せずドシドシ批判すればよいと思うけど、事実に基づかない事柄を根拠に具体的他者を非難するの流石に中傷ド真ん中では。
あの動画、人の目では接触の有無を正確に確認できないし(胸前は浮いてるように見える)海老澤氏の説明もあるのだし、やはり「間違いなく」なんて断見は成り立たないと思う。
しかしつくづく個人の人格とか主体性とか意思を軽視する私刑社会だなと感じる。セクハラというならこちらのほうが心理的には余程セクハラだ。
正義の決めつけで他人の主体性とか人格とか意思を無視して心に覆い被さる息苦しい妖怪達。
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