24-BLOG

雑文集

嫌悪と偏見と差別と「論理破綻を潜脱する者達の心底」

副題:フランスが定義したもの、出来なかったもの

https://www.cipdr.gouv.fr/
から次の語句「Fiche de synthèse Lutte contre les dérives sectaires」を内部検索すると、いわゆる反セクト法の要約シートへ辿れます。定義規定について詳しく知りたいかたは直接お調べください。

以下、「Fiche de synthèse Lutte contre les dérives sectaires」から引用。

Loi no 2001-504 du 12 juin 2001 tendant à renforcer la prévention et la répression des mouvements sectaires portant atteinte aux droits de l'homme et aux libertés fondamentales
“人権と基本的自由を損なう宗派運動の”防止と抑圧を強化することを目的とした2001年6月12日付法律第2001-504号
Il n’y a pas de définition légale de la dérive sectaire, pas plus que pour la religion, la radicalisation ou le séparatisme. Cependant, la Miviludes a élaboré une définition qui découle de la loi About-Picard de 2001 sur l’abus frauduleux de l’état d’ignorance et des travaux parlementaires sur le phénomène sectaire.
宗派の逸脱については、宗教、急進主義、分離主義などと同様に、法的な定義はない。しかし、Miviludesは、2001年の無知の詐欺的悪用に関するアバウト・ピカール法や宗派現象に関する国会での活動に基づいて、定義を作成した。
La dérive sectaire est un dévoiement de la liberté de pensée, d’opinion ou de religion qui porte atteinte à l'ordre public, aux lois ou aux règlements, aux droits fondamentaux, à la sécurité ou à l’intégrité des personnes. Elle se caractérise par la mise en œuvre, par un groupe organisé ou par un individu isolé, quelle que soit sa nature ou son activité, de pressions ou de techniques ayant pour but de créer, de maintenir ou d’exploiter chez une personne un état de sujétion psychologique ou physique, la privant d’une partie de son libre arbitre, avec des conséquences dommageables pour cette personne, son entourage ou pour la société.
宗派の逸脱とは、思想・意見・宗教の自由から逸脱し、公の秩序、法令、基本的権利、安全または個人の完全性を損なうことです。 これは、組織された集団又は孤立した個人によって、その性質又は活動の如何を問わず、人の心理的又は身体的な服従状態を作り出し、維持し又は利用することを目的とした圧力又は技法を実施し、その人から自由意志の一部を奪い、その人、その仲間又は社会に対して有害な結果をもたらすことを特徴とする。

***引用終わり***

私の感想
フランスはカルトを定義したかのように印象操作(画像参照)する言論がネットでよく為されるんですが、フランスは「カルトを定義せず」宗派(セクト)の「逸脱行為を定義」したんだよね。


画像出典:ミヤネ屋

宗派(セクト)諸活動中“上の”活動は」逸脱してますよ、したがって規制の対象ですよ、と言い得る行為を定義したのであって、これら条件に該当する団体を悪の代名詞のようにカルト(語意:礼拝祭儀)ないしセクト(語意:分派/教派/宗派)と言ってる訳じゃないんだが。

そりゃそうだろう。

用例が多義に散逸してるとはいえ歴史的語意·語原の存在する言葉を法律で一意に収斂させるって中々の暴挙。さすがフランスはそこまで介入しなかった。カルトやセクトの語が造語であれば好き勝手な定義も再定義も可能ですが、先立つ事実として歴史的語意·語原が存在する。

文末に玉木雄一郎,国民民主党代表のツイートを追記形式(2022.09.02付)で掲載しました。大新聞なら世の風説を糺す言論やればよいのに何やら真逆のようだ。

それは法律のタイトルからも一目瞭然じゃない。表題は『人権と基本的自由を損なう宗派運動の防止と抑圧を強化することを目的とした2001年6月12日付法律第2001-504号』となってる。「赤字で修飾された宗派運動」と「宗派運動」の区別をつけられないのはマズいと思う。

これはとても大きな異同なんだけれど、特に日本だと、まるで数学の無定義語のようにカルトは「逸脱行為をする人々然」としてアプリオリ存在で扱われ、「逸脱行為の有無に先立って」法規制すべき対象であるかのように牽強付会、印象操作されてしまってる。

この著しい非論理性・異端審問官マインドこそをカルトの定義または逸脱行為の定義に入れてほしいんだが‥(^_^;)

日本で所謂カルト問題が進展しない最大の理由はこの問題を引率してきた、あるいは現在そうしている人達の無茶な認識と論理構成にある。上掲画像然り。

たとえばこういうやつも。


なお、御皇室や皇室祭祀を司っていた白川伯王家神道のような由緒ある流儀と「ひろゆき氏」が念頭に置くヨコシマな者達とを同一視するなど論外であって、そりゃそうとしか。

しかしである。
伝統的語法(etymon)に則るならば、カルトは神道の内包であり神道のみならず凡そ宗教の内包といえる。敢えて伝統的語法を外す必要性も必然性もないので「ひろゆき氏」が念頭に置くヨコシマな者達との異同を指摘しておくと、現在時間における世間様との関係や不法行為等の有無あたりか。

定義規定を確認できる法律が国法体系の中に存在しない以上、また伝統的語法を外す必要性や必然性の説明を誰もしない以上、私は伝統的語法に従う。

そりゃそうでしょうよ。
インフルエンサーや自称ジャーナリストや弁護士の独自定義(独自規範)に則ってあげる義務や責任が社会また宗教界に存在するわけない。一から十まで前提が成立してない。

凡そ宗教の内包…
極端な例を幾つかあげると後期密教のタントラやシュクデン。幸いにも日本仏教界はこの法脈を継受しませんでしたが。

イメージで端的に知りたいかたは「ヤブユム」「シュクデン」をそれぞれググってください。これ私の認識下ではカルトですが、他者へ迷惑をかけないならば無問題と思ってます。しかしカルトならば当然に不法団体になるのですかね。

それ左道(Left Hand path)イメージからくる嫌悪と偏見では。ちなみにチベットは後期密教の継受国です。

日本仏教の歴史に存在する稚児灌頂もそう。

神道だって野里住吉神社の一夜官女祭にみられるような人身供犠が一部地域には存在したわけでしょう。

しかしこのような来歴をもつ仏教や神道であっても現代においては何ら問題となってないですよね。

加持祈祷事件(刑集第17巻4号302頁)のような逸脱行為であったり違法行為ないし不法行為があるならば、教義(思想信条、イデオロギー)や来歴の如何にかかわらず駄目なのであって、それら人権侵害がないならば、教義(思想信条、イデオロギー)や来歴の如何にかかわらず問題とならない。

蛇足ですが、私がこの議論で一番欺瞞を感じるの、自分達は綺麗であってカルトじゃない、セクトじゃないと信じて(?)やまない伝統宗教者が見せる御為ごかしの態度なんですよね。

付け加えると、世俗の論理を100%正しいと宗教者が信じきれるのならば、宗教の存在意義とはなんぞや。何よりも、オカルティズムやシャーマニズムなど非科学・非合理の価値を宗教者でありつつ否定(a∧¬a)できちゃうなら、もはや科学だけの世界でよい気がする。

関連記事含め繰り返しになりますが、伝統的語法に従うならばカルト性を内包しない宗教はほぼ存在しませんし、現存する宗教なんて大概は分派です。

たとえばじゃ、日本でセクト(分派)じゃない仏教の宗派って存在しますか?そも大乗仏教自体がセクトなんですけど。日本最大の‥

たとえばじゃ、教派神道はセクト神道の意味となりますが、天皇陛下の許勅を根拠に教派を立てた設立経緯を鑑みると、陛下はセクトの統領。では憲法一条は?

本来カルトそれ自体に善も悪もない。カルトという言葉を都合よく我田引水して意味を(違法団体だ不法集団だと)操作する、操作したい人達がいるだけです。

まだ共産主義のように宗教それ自体を【おかしい】と考えたほうが整合性のある言論を展開できますね。

たとえばじゃ、「反LGBT」を差別や人権侵害と認識する人にとって、カトリックは一体どのような位置づけになるんでしょうか。

イタリアのザン法案へ抗議かけてますけど‥?

ローマ教皇庁、同性愛嫌悪を処罰する法案は「信仰の自由を抑制」BBCニュース2021年6月23日配信

また子供の人権問題や(所謂)霊感商法の話をするならばカトリックの幼児洗礼や免罪符(贖宥状)の歴史に触れざるをえないし、東西教会分裂を引くまでもなくカトリックですらキリスト教の中では一つのセクト(教派)ですよね。無論プロテスタントも。


図解、日本語版, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

劇辛ソースaの付着した「(定冠詞)果実x」を劇辛ソースaの付着した「果実x」とそのまま認識できずに「(無冠詞)果実」と誤認識し、嫌悪と偏見からそこに蔑称として援用されてしまったのですよね。「○○○」が。

以降「○○○」は悪者の代名詞として不当な扱いを受ける形で現在に至る。

援用:②元来その用でないものを、 急場しのぎのためにその用途に充てること。

代名詞:②〔「...の−」 の形で〕...といえばまずそのものが思い出される代表例。

出典
新明解国語辞典
劇辛が問題であるならば、通常はaまたはxに着目する。洗い流せばよい。それが可能なのは【a及びx】は【果実】から明確に分別された特定物だから。

しかしaを果実の内包と誤認識して「(不定冠詞)果実」の対策を論じる人々からその発想は出ない。彼等視点だと同一物扱い。

これこそ逸脱行為では。

果実を人種や国籍、性別、職業に置き換えたら異常さがより伝わると思う。

ちなみに好き嫌いレベルの話なら私は劇辛大嫌い。味覚と嗅覚レベルの拒絶反応が起こる。


2021.07.29 追記
フランスの取り組みを参考とした国際的定義がさも存在するかのような印象操作に励む法螺吹きマンを最近よく見掛けるが、国際的定義とはこれまた曖昧な表現だ。国際的定義とは一体全体何を指すのか誰も具体的に言及しない。

たとえば国連の少委員で採択された採択書あるいはその実体を指して定義と呼ぶのかWikipediaの執筆者、あるいは引き手の解釈の中に存在する話か。

こんな無茶苦茶な法規制言論がなんでさも当然のような顔でまかり通るんだろう。

***

伝統宗教への批評と紙一重の書き方にならざるえず辛いので、私はこの問題へこれ以上触れませんが、今の言論の在り方は「魔女狩り」や「宗教戦争」に発展しかねず本当に危ないと見ていて感じる。


2021.07.29 追記2
『凍らすジェット、ゴキブリ秒殺』を買いにマツキヨへ行った帰り、セブンに寄り道。なんかタイムリーな本を見つけて内容も確認せずタイトル買い。


時空旅人「呪術の世界」
呪いでない祈りとしての呪術の真実


よい表現しますね。
呪の字源を考えるとに解字でき、に解字できる。は人が「👼🧎」跪く象形。人が跪きから発する言葉の音は祈りである。

陰陽互根...呪と祈りは等しい行為。つまり凡そ宗教は呪術信仰といって差し支えない。

ちなみに密教の「護摩焚き」は古の婆羅門カルト(オカルティズム・シャーマニズム)ですね。現代でも密教系宗派なら普通に護摩行はやると思う。

ともあれ今から読みます。
╰( ・ ᗜ ・ )➝📖


2022.09.02 追記3

少しづつ事実と異なる風説が修正されてゆく。漸進だがこういった良心や良識がギリギリ存在する事を嬉しく思う。


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前記事への付記2はこちら。
前記事への付記はこちら。
蘇る魔女狩りと異端審問官はこちら。

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