副題:説得を忘れた政治
葬儀とは、故人を偲ぶ形で行う(残された者の)心を慰撫する宗教形式である。そう考えると、確かに他人様の葬儀を妨害するなどありえない狼藉だ。刑法になかったか。
刑法第188条
【礼拝所不敬、説教妨害】
①神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、6月以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。
②説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、1年以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。
では国葬の場合はどうか。
刑法や妨害の話じゃなく、国葬を純粋な意味における葬儀と同一視できるか、というお話。
行政一般論として、たぶん通説は侵害留保説に立っている。なるほどな、と思うけれども、より上位の概念である民主主義一般論でいうと、納税者たる国民は、あらゆる税金の使途について熟議の対象にできる。
そうでないと租税はただの強盗になってしまう。
通常、一般家庭によって執り行われる葬儀は純粋な私的儀式であり税金で執り行われる公事ではない。他方、国葬は税金で執り行われる公事であることから儀式の性質に必然「政治セレモニー色」が重なり混じる。
特定の人物を特別扱い(顕彰)する意図は政治に他ならず、これが葬儀の純粋さを希釈するのだ。
なので一般的葬儀の性格を逸する当該政治儀式(顕彰)について、「人の死を素直に弔えないのか‥」などといった葬儀一般論を用いた国葬反対言論への非難はまったく的を射ていない。
斯様に葬儀の内実が、葬儀という体裁を借りた執権党政治である以上、議論の対象とされてしまうのは仕方ない。にもかかわらず、政治の前提を違える相手に「譲歩して説得」するんじゃなく、意地でも「理屈で納得」させようとするでしょう。
社会主義思考の人が資本主義擁護の政治家を評価する場合、彼の人の政治的善行は必然悪行とうつる。資本主義的前進は格差拡大であり社会主義の後退とうつる。欧米普遍主義に傾斜する外交は、保守派からみれば興亜論/アジア主義の後退とうつる。これは正しさの問題でなく認識論の問題だから仕方ない。前提が違うのだ。それぞれ評価指標を異にするなか政治家の功績で国葬該当者(特別か特別でないか)を判断するならば、反対論の出ない社会のほうがおかしい。
落し所として、「総理経験者については生前の重任を労う国家儀式を死後等しく執り行う。」ゆえにたとえ「誰さん」であっても国家は大義を区別しない。そう説得するのであれば一応筋は通る。靖国神社じゃあるまいし、白虎隊は祀らないとか政治色を慰霊の場に持ち込んだら民主社会で揉めるの当たり前だ。
麻生さんっぽく言うと、同じ(国)家族であるならば、等しく扱う事に理屈はいらねぇんだよ。
またこれは数字上の事実だが、自民党はあくまで議会における多数なのであって国民全体から見れば自民党支持層は多数じゃないよね。特に若者世代でいうと得票数(≠有権者数)の中で自民党が比較優位なだけであって大多数の若者は自民党を支持してない。大多数は無党派と他党支持で構成される。
職業に貴賤など存在しないが背負う職責に軽重はある。祖国を背負う重任を担った者は菅直人氏であろうと鳩山由紀夫氏であろうと出来うる限りの敬弔を受ける資格があると思ってる。
私は上理由により総理経験者ならば等しく国葬でよいと思ってる派だから条件に該当する安倍さんについても当然反対でなかったし、あえて言挙げせんでも粛々と実行されるだろうから国葬トピックに触れるつもりはなかった。かかわり方を間違えると騒擾の焚付けになりかねん。
しかし駐日ジョージア大使による噴飯物の発言を見てしまい。
日本は権威主義・全体主義社会でないから、つまり民主社会は様々な立場や視点を包摂するから葛藤の表出を許すのは国民の成熟さと健全性の現れである。これら民主主義が予定する機能や実践から切り離された大使個人の理想上の「正しい社会」のありようを前提に、当該理想が社会全体で共有されない国民は残念であるかのように着任地の国民へSNSを通じて嘆いてみせる駐日大使。
控え目にいって慇懃無礼。
英霊を敬いって‥大使閣下、民主主義の機能する社会においてはその対象“選別”を政治と呼ぶのです。たとえば米国では大統領を国葬対象とし、個人の功罪で選別しませんよね。
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