旧題:それ窃盗なの?
※表題部の表記を変更
なんか新年早々にモヤるツイートを目にしてしまったTWの場面設定、窃盗なのか。
友達の家でボールペンを借りたまま、家に持って帰ってしまった場面をボールペンの借りパクへと自動変換(評価)した上で、「それは窃盗です。」と断定してしまってるようだけど。
刑法は犯罪の成立を構成要件該当性、違法性、有責性が満たされた状態と定義し、構成要件の要素に故意性を置いてるように読めるんだが。
【刑法総論>構成要件該当性>主観的構成要件要素】
主観的構成要件要素とは、行為者の主観的要素(目的犯における目的、故意、過失など)が構成要件の要素となることをいい、客観的構成要件要素(行為の主体、客体、状況など)に対して認められる概念である。
引用元:図解法律用語辞典
(自由国民社)
では、ここで窃盗罪の構成要件を確認しておこう。
【刑法第二百三十五条:他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。】
次に、“窃取”とは何か。
【刑法各論>個人的法益に対する罪>窃盗罪】
窃取というのは、占有者の意思に反してその占有を排除し、これを自己または第三者の支配に移すことである。
引用元:図解法律用語辞典
(自由国民社)
ところで、これ行為者の主観的要素(目的、故意等)を考察する際の要概念、不法領得の意思についていってるのだろうか。
自分は法律家でないから異同がよくわかりません。
しかし何れにせよ、上掲ツイートで示される場面設定(友達の家でボールペンを借りたまま【①】家に持って帰ってしまった。)からは故意や不法領得の意思を直截に確認できる箇所がない。
括弧【①】に入る語句は故意か不注意か過失か。不注意ならば不法領得の意思はないハズだし、視点をズラすとこれ使用貸借契約(民事)でしょ。じゃあ貸主は貸出期限を設けたのか。友人の帰宅時に返還請求を行ったのか。
つまり直ちに窃盗とは断定できないんじゃないか、という話。
あと借りパクと評価される場合であっても友人間なんだし違法性阻却事由の一つである「被害者の承諾」を得られていた場合は犯罪に至らない気もする‥
違法性認識と錯誤の関係とか。
彼らが揉める原因として挙げられる事象それ自体(動機/目的)にはあまり関心ないのだが、彼らの事象認識力(安易な確信と断定)は大いに気になる所。
参考リンク【暇な空白】
バスカフェ不要論、ホスト規制必要論
「代案を提示してるだけで僕自身が規制に血道を上げることはない。」とも書かれてますが、方方へこれ以上飛び火しないことを祈る他ない。
***
結局アレが窃盗を構成するか否かなんて法律家でない私にはわからんのですが、この「わからぬ事はわからぬ」って判断けっこう大切なのだけれど、こういった葛藤を感じないもんね。
TWITER世論は往々にして倫理/道徳上の悪を先行させるよね。
窃盗の話で引っ張ると、他人の財物を持ち帰ってしまう行為は自明に悪である。従って当該行為は当然に罪である、みたいな単純二分の定式を懸河之弁に突き付けてくる。単純なだけに。
最後に、話題のワード「不正」について、有斐閣法律用語辞典ではどのように説明されているかを確認しておく。それと不正と不当は意味違いますからね。
【不正】
一般には、正しくないこと、正義に外れること。
法令上用いられる場合には、必ずしもこのような倫理的な意味でなく、それぞれの立法趣旨に応じて一定の法律的意味が与えられている。例えば...(後略)
引用元:有斐閣法律用語辞典
あの騒動、一方が行った漫画表現への協働アクション含め公共概念を過給・舞台装置に利用してする私闘劇(諍いの延長)に見えてしまって。TWITER世論は簡単に【敵味方(好悪)対立図式】へ作用してミーム化するし個人攻撃はじめるし、なんかTWITERの出現が公共を安っぽいものに衰頽させてしまってる感否めなくて。ちなみにこれ【誤った二分法】といわれる詭弁術への入口です。
⚫追記③ ※連続TW
colaboの問題の件本当はこれ以上この件に触れるつもりはなかったのですが、痛くもない腹を探られたり、いらぬ想像をされるのも迷惑なので、アベプラに出てこのテーマを扱った理由や、監査請求とその背景にある問題について私の立場を明確にしときます。
— 安部敏樹(あべとしき)@リディラバ代表 (@toshikiabe) 2023年1月11日
敵味方対立図式の外側から着地点を見出そう(公共を立て直そう)と心砕かれる安部氏へ敬意を覚える。しかしその結果、中立は一方への加担とばかり双方ミームから集中砲火を受けているようだ。私は弱小ブログで紹介するくらいしかできませんが、見てる人はちゃんといます。
⚫追記②
(Colabo側の)自業自得だとばかり一瞥する向きが多勢かもしれないけれど、情のない事するな‥とさすがに憐憫を覚えてしまう。この感覚ってColabo擁護になるんだろか。違うんだが。
⚫追記①
この記事を見て、暇空氏は、アニメ等の作品を太田先生や仁藤氏らが激しく否定したことに対し、では貴殿らは清廉潔白なのか?を制度面から洗おうとしたもの。アニメ等の作品の否定論理が不明なことを勘案すると、暇空氏のいうことのほうが筋が通っとるなと思いました。https://t.co/Oric1n7frR
— 向原総合法律事務所 弁護士向原 (@harrier0516osk) 2023年1月7日
一般論としてですが、表現や創作物を否定する者は自身が先ず廉潔であるべきなんだろうか。否定に論証(健全性:前提真〜結論真)形式を要するのだろうか。
俺はオッサンへの嫌悪表明などに見られる(所謂)feminist仕草が大嫌いな者、つまり否定側だけれど、そう書くにあたり自分の理路を論証(健全性:前提真〜結論真)しようもないし、己を顧みると、俺は廉潔でもないよ。
というか公共空間における(所謂)性的漫画表現の是非論、肯定側も否定側も論証(健全性:前提真〜結論真)なんて誰もやってないじゃん。互いに結論が先立って前提真を措定して途中を整合的に繋いでるだけじゃないの?
たとえば価値の言明「命は一番大事なものである〜」構文を論証(健全性:前提真〜結論真)できる人っていますかね。前提真を措定して〜結論部へ繋げる人はごまんと見てきましたけど。
否定論が「国→私」の方向性であるとき又は立法的規制論(作用)であるとき求められる要件を、私人間相互(私↔私)の表現活動あるいは私的自治に基づく民間交渉に当てはめるの変じゃないですかね。法律効果として一方的にエンフォースする法規範(enforcement、行政作用)と、そうでない私人間コミュニケーションによる言葉の運動作用とを同じレイヤーで語るの明らか変じゃないですかね。言い換えると、否定論が「国→私」の方向性をとるとき論証(健全性:前提真〜結論真)できないのは甚だまずい。判決文に「大多数の国民の道徳意識」とか「国民の理解」とか社会通念を持ち込んだ裁判官とか。
端的にいってこれを嘘といいます。嘘とは真偽が証明されて“ない”ものをあたかも事実として扱う事です。
別の言葉で表現するならば不当仮定虚偽でしょうか。
(掲載拒否理由)
①胸部ラインの強調
②肌の露出量
上掲画像が(広告適性を否定されたこと含め)弊ブログ閲覧者から直接抗議されたとてSNSに引用非難され炎上したとて(面倒だしウザいが)それは受忍限度と達観する他ない。このとき否定や抗議や非難の様態に相当性を欠く部分があるならば、当該「欠く部分」を問題にするだけであって、無視も反駁も認容も、すべて私の主体的判断なのだよね。そしてそうであるから、相手の訴えを認容し表現を撤回した場合に「排除された‥ぐぬぬぬ」などの主体性を放棄する発言は絶対にしたくない。
仮に否定や抗議や非難自体があってはならないとすると、それはもう「表現、創作物の保護」を社会へ要求してる事になってしまう。つまり反対表現の自由を自由一般から除外する思想、保護主義だが、これは社会契約に含めるべき事柄なのか。
反対表現が誹謗中傷や(反対表現の作用として)営業妨害というに達する、達した場合など限定して排除するのでなく?
ちなみに仏教だとネガティブ表現は不善つまり悪に相当するから戒の(口の作用として負う業から避ける)対象なんだけど、仏教は教義の履行を社会に要求などしてないでしょ。自分が守るか否かだけなので、社会へ要求するとかない。要求する宗教団体があったらヤバい宗教扱いされるはず。
‥いずれにせよ、上の例でいうと保護要求が通らぬからといって(その基体や当該「欠く部分」と真っ向対峙するのでなく)相手の業務活動そのものを直接targetにしたとすれば流石に筋違いと思うんだ。それはそれ、これはこれ。
もし自分が類似の立場に置かれたら、意地でも関連性を否定して双方独立する事象として扱うけど。まあ地続きにしたほうが支持を集めやすいとは思うが。
TW引用記事の表題文に【これはネット界におけるウクライナVSロシアの戦争です】とあるけれど、「江戸の敵を長崎で討つ」の間違いでは。
デイリー新潮
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/01061216/?all=1
動機は本文右文章【僕は漫画が大好きなんで、この作品を燃やす行為にすごくムカつきました】から端的に見て取れます。感情としてなら100パーセントagreeです。しかしですね‥
勝てればよいのかと。
それはただの喧嘩です。
喧嘩に公共なんてないよ。