副題:介護保険法の限界と憲法の労働者保護観
この題(【前記事への追記】自由意志を問われる例。メンタル破壊の貧困層へ子供を誘導する社会)に関連しますけど、元運輸官僚で公共政策学者の上山信一氏はかつてこんな発言をしてます。記事タイトル善し悪しはべつにして、このままだと本当にそうなると思う。
第74回_個人と組織のインテグリティ―「官から民へ」を支える規範
本文から引用
だとすれば金銭を介さないマンパワーの調達方法が必要になる。つまり「福祉徴用」である。医療は別だが福祉や介護の分野では、かつての徴兵制のように週に一定時間、手伝うことが義務化されるのではないか。
引用元:日経クロステック
https://archive.is/L5CDR
産経新聞にある美談が載った。
記事タイトル損得抜きで行動した件の女性は福祉人として素晴らしいです。
「人生最後の願いをかなえます」余命宣告受けた患者の心に寄り添い、女性ケアマネが奮闘
引用元:産経新聞
2024/8/10 09:00
ただ、こうした特定の高齢者のみへ向けられる(「平等公平な職務提供の原則」の外側で行われる)特殊なスタンドプレーをケアマネジャーの名で手放しに称賛する福祉業界に根付いたイデオロギー、そろそろ本気でどうにかしないと介護福祉(介護難民)の未来は確実に壊れますよ。
引用元:Y!ニュースコメント
https://archive.is/hHL1l
そもそもケアマネジャーは、要援護者(高齢者や障害者、がん患者など)の「心に寄り添う」「生活と人生のすべてのニーズに寄り添う」のが本来の仕事です。
当該記事についた大学教授の解説ですが、これは事実じゃありません。氏個人の理想像です。
ケアマネジャーは介護保険法の中に根拠を持つ職種で明確に定義されており、憲法(労働者保護)の精神を踏み超える役割を条文中から読み込むことはできない。
この法律において「介護支援専門員」とは、要介護者又は要支援者(以下「要介護者等」という。)からの相談に応じ、及び要介護者等がその心身の状況等に応じ適切な居宅サービス、地域密着型サービス、施設サービス、介護予防サービス若しくは地域密着型介護予防サービス又は特定介護予防・日常生活支援総合事業(第百十五条の四十五第一項第一号イに規定する第一号訪問事業、同号ロに規定する第一号通所事業又は同号ハに規定する第一号生活支援事業をいう。以下同じ。)を利用できるよう市町村、居宅サービス事業を行う者、地域密着型サービス事業を行う者、介護保険施設、介護予防サービス事業を行う者、地域密着型介護予防サービス事業を行う者、特定介護予防・日常生活支援総合事業を行う者等との連絡調整等を行う者であって、要介護者等が自立した日常生活を営むのに必要な援助に関する専門的知識及び技術を有するものとして第六十九条の七第一項の介護支援専門員証の交付を受けたものをいう。
厚生労働省参考資料によると‥
制度的に位置付けられた介護支援専門員の業務について【第6回H24.10.10】
介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する検討会
このように、ケアマネジャーの職務は介護保険法の求める枠内で相談者と関係各所(行政・介護保険適用事業者等)を繋ぐ連絡調整そのプランニングです。要介護者の「生活と人生のすべてのニーズ」を実現するために介護保険外のアグリーメント交渉やセッティングを介護支援専門員が直接代理・代行することはケアマネジャーの本来業務を逸脱しませんか。
一個人のボランティア活動として(各業法に抵触しない範囲で※1)行われる自己犠牲に対して向かう賛辞ならばともかく、これぞケアマネジャー本来の姿である、模範である、業務外の支援を厭わないケアマネジャーこそ評価・後押しされて然るべき‥などと制度内へ個人の思想信条を敷衍するのはシャドーワークに苦しむ介護福祉業界全体を酷く圧迫しないか。
https://x.com/narikeamane/status/1826813932532888000
日本は自由経済と対極のガチガチ規制経済社会なので、万事何かしらの業法に抵触する可能性がある。
あれがケアマネジャーの本来の仕事なら、求めに応じ全ての利用者へ同様のサービスを提供する必要が生じる。当然介護保険の範疇でないからボランティアになる。
つまり、ボランティアで自己犠牲するまでがケアマネジャーの本来任務でありそうした姿が模範?
ケアマネジャー、そんな理不尽な職責背負ってないでしょ。
少なくとも介護保険法にはそんな要求書いてないしそうと論理解釈可能な条文も見当たらない。
記事タイトル介護職員不足のみならずケアマネ不足も深刻です。(介護職員は辛うじて入職超過に昨年転じたようですが、)もういい加減、労働の対償価値を度外視したキラキラ介護福祉論やめませんか。
人手不足のケアマネ、2040年までに8万人超の増加が必要_国推計_人材確保・生産性向上が不可欠
記事タイトル
厚労省・老健局長がケアマネの無償労働に言及「シャドーワークが多い。整理が必要」
引用元:介護ニュースJoint
サービス提供側の自己犠牲を当然視する旧来型の福祉観は失敗したのです。【近江商人三方よし】ではありませんが、サービス提供側の思いも汲んだ新福祉観を作り上げるべきじゃないですか。
ああいった自己犠牲が市民権をもつ、評価・後押しされる社会になったら本当に危うい。
介護保険サービス実効力の本質は介護労働者による現実の提供であって、机上で行う理念の提供じゃない。
【理念は介護してくれん】のに、ああした自己犠牲を標準化してサービス質量不足の原因を労働者や事業者の資質や怠惰で処理しようとする吟遊詩人おおい。
現在のデフォルト介護福祉観(労働者の自己犠牲による過剰サービスの提供)を修正しないとシニア世代以降は確実に福祉壊れますよ。
今一番必要なのは介護の再定義(サービス内容の適正化)でこの出発点に切り込まない限りどうにもならんよ。
というか、既に機能不全地域出現してますよね。
そのとき憲法がどう機能するか、とても興味が湧く。(「公共の福祉」の解釈を変更すれば)実現したい公益次第で無償強制徴用も可能なのか。でもそれ本当に公益?介護嫌だの集合じゃなく?
直系血族及び兄弟姉妹は
互いに扶養をする義務がある
だって【民法第877条】を機能させれば他人を福祉徴用する必要ないじゃんね。要は順序が違う。
条文を死文化させようと必死な人々の存在こそが介護における最大の社会問題なんじゃないの?
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