24-BLOG

雑文書き

松本文春騒動から考える【裁判を受ける権利(人権保障)】を飛び越えた人民裁判の恐怖

副題:実証主義科学vs形而上学法学
一言:週刊誌記者には司法官憲と同等の捜査能力があり、自分達には司法官憲と同等の事理判断能力があると盲信するツイッタ民一部の頭のおかしさ。

日本は人民裁判を積極的に肯定する社会なのか!と松本文春騒動を見て衝撃を受けている。

というのも、日本国憲法は裁判を受ける権利を日本人に保障してるからだ。ここ重要なんだが、日本国憲法は【権利】という語句をわざわざ用い、その基本性質を明確に示してるんですよね。

義務でなく権利なのだと。

日本国憲法
第三十二条:何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十七条:すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

刑事訴訟法
第一条:この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
刑事訴訟法
第二百四十二条:司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない。
刑事訴訟法
第二百四十六条:司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。
また刑事訴訟法の目的を確認すれば明らかなんだが、刑事司法機能は【可哀想に見える誰か】の救済や復讐心を満足させるために設置されたものではない。

⚫公共の福祉の維持
⚫個人の基本的人権の保障
⚫事案の真相を明らかにする

誰かから嫌疑をかけられたとき、果たしてそうした解釈・評価の基礎となる事実(客観)が現実に存在するのか、また存在したとして、当該事実の解釈・認知(被害意識)は嫌疑相当なのか。

たとえば窃盗の嫌疑なら他人の占有物の移転が基礎となる事実だが(この段階で)事実の属性に不法領得の意思や故意を設定するのは‥犯罪と言うためには被害申告者の認識を裏付ける相応の根拠量とか根拠の質を求められるはず。

※件の告発を窃盗で喩えてるわけじゃないんで悪しからず念の為

これらのジャッジを正当な権限行使機関の行う真相解明(捜査・審理)手続きを挟まず被害申告者の証言のみに依拠して認定されたらたまらんでしょ。だから裁判を受ける権利が保障されるのでは?

犯罪捜査規範
第六十七条:告訴または告発があつた事件については、特にすみやかに捜査を行うように努めるとともに、次に掲げる事項に注意丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶しなければならない。

一 誣告中傷を目的とする虚偽または著しい誇張によるものでないかどうか。
★なんのため捜査があるのか
★なんのため裁判があるのか

時効の仕組み上、公正中立な裁判を受ける権利を松本氏は行使できず、ツイッタ民やネット民のする内輪審理と審判を事実上強要されてる。つまり人権の眼目、真相解明の手続き保障を受けられない中そうした機能(司法警察職員、検察官、裁判官)の外側で松本氏は断罪されてるわけだ。

★雑誌記者は捜査官じゃない
★ネット民は裁判官じゃない

記事タイトル
性的被害を受けたというウソの証言で約6年も身柄拘束_人が人を裁く刑事裁判の怖さ

引用:Yahoo!ニュース(アーカイブ)
2019/1/8(火)7:30
正当な権限行使機関の行う真相解明(捜査・審理)手続きを挟んでも↑こうした間違いを犯すのに、なんで只の雑誌記者と馬鹿なネット民が警察機能と裁判機能を勝手に代替してるんだ?

以上はこの問題でずっと書いてきた内容だ。

松本氏やファンの皆様には申し訳ないけど俺にとって【松本人志】はiconicな記号にすぎないから【真実】にも【勝敗】にも興味がない。芸能界復帰の有無とか心底どうでもいい。憲法秩序の実効性に影響を受ける一民間人にとって(無罪推定含め)世間は人権をどう観念してるかが重要なのだ。

文春の報道内容に真実相当性は具備されるか?を巡る名誉毀損裁判の【訴え取り下げ】に被害申告者の証言を真実認定する効果なんてない。九年前の事柄について、被害申告者の事実解釈(一方の真実)と松本氏の事実解釈(他方の真実)いずれに理があるかを審理する裁判じゃないだろあれ。つまり振り出しに戻っただけじゃん。

①加害の事実は無い
②被害の事実は有る
③無いの証明責任は松本氏に無い
④有るの証明責任は被害申告者に有る
記事タイトル
松本人志さんと文藝春秋側が合意_名誉毀損の訴えを取り下げ

引用:NHK(アーカイブ)
⑤真否はいまだ不明瞭

同記事【これまでの経緯】を参照すると、提訴時の松本氏は『性的行為を強要したという客観的証拠は存在しない』と主張。一方文春側は『女性に対して複数回の取材を重ね証言の信用性について慎重に検討したうえで松本さんに対する取材も経て確信した。同意のない性的行為は真実だ』と主張。

factを問題にする松本氏
trueを問題にする文春側

つまり真実であると【信じる】ことに相当な理由(女性に対して複数回の取材を重ね慎重に検討)があると言っており、ファクトの有無を文春側は問題にしてない。
記事タイトル
文芸春秋総局長、松本人志問題は「刑事事件として立件するのは不可能」「客観的な証拠はない」と発言

引用:Yahoo!ニュース(アーカイブ)
2024.03.04
ここでも客観的証拠ないって告白してますね。

訴え取り下げ時の松本氏コメント『強制性の有無を直接に示す物的証拠はない』に対して、でも間接証拠や物的証拠以外の証言があるじゃないか。したがって証拠はあるし既存の証拠で証明に足りる!‥こうした推理がまかり通ってますが、その証拠の精査は誰が何処でどんな方法でやったんですか?ネット民やユーチューバーが週刊誌の紙面を見て判断しただけ?なんで素人の調査と素人の審理に身を委ねなきゃならんのよ。

私人逮捕系ユーチューバーと
思考回路大差ないやんw


しまいには【事実を直接示す物的証拠】でないものの価値をタイムカードを例に力説する人達まで出る始末。なるほど確かにタイムカードの記録は労働事実を直接証明しませんよね。そこに実在するのは紙といわれる物質とインクといわれる物質だけだ。

でも出退勤時刻を記録するタイムカードは労働基準法109条の定める「労働関係に関する重要な書類」として書類の目的、機能、効果を、インクで刻印される数字の意味を、労使双方が明示又は黙示に認め使用してるのですよね。
記事タイトル
強制性交罪に問われた男性に無罪判決…女性の証言を「有罪とするほどの信用性はない」

引用:読売新聞ONLINE(アーカイブ)
2024/01/16 07:50
この判決↑を見て、司法は被害者を守ってくれない酷い!とか考えちゃう人は中世の野蛮人でしょ。ツイッタ民のことですけど。

無罪推定や刑事訴訟法の意味や意義が厳しく問われるフェーズだと思う。まあしかし、ツイッタ民やネット民に憲法の人権観念が通用しないのは知ってたけど、あそこまで酷いイジメ集団とは。

たしかに憲法は対国家規範であるけれど、その国家権力へ憲法に根差した社会像、国造りを求めてるのは国民自身だ。

それなのに自分達から積極的に壊してくスタイル。

プロの警察官が一体どれほどの訓練と経験を積み強い権限のもと捜査してると思ってんだ。プロの検察官や裁判官が一体どれほどの訓練と経験を積み葛藤を背負い人を裁いてると思ってんだ。何もない週刊誌記者が調査拡散して何もないネット言論者が無邪気に人を裁き断罪する拙劣なコンボネットミーム

そして、そうしたミームを根拠に次のような見解が開陳される。

https://x.com/plmakoto/status/1855388218100998364 より引用
山下氏の理解だと(松本文春騒動における)私は加担する男性側なんでしょうけれど、性別一方の尊厳より人権保障の機能する社会を守るほうが大切です。

なお、百田氏の件はしらない。

与野党政治家の皆様へ

手続保障による公正中立な審判を受けられず無秩序無分別な人民裁判にかけられ好き勝手侮辱されるスキーム(排他的二重権力)が完成するなら政治マターで救済措置を作ってほしいんだよマジで。

刑事領域で復仇的自救行為がまかり通る社会の無秩序無分別は恐怖でしかない。

ところで①刑事領域の復仇的自救行為②素人である週刊誌記者の犯罪捜査③素人であるツイッタ民の人民裁判。これらを容認する人いたら名乗りあげてほしい。

マジでどうすりゃいいの?

対象となる事柄は(被害届けさえない)九年前に遡った告白の中ゆえ証明困難かつ時効が成立しておりプロの捜査・審理手続きに与れない。名指しを受けた側は素人調査と憶測でプライバシーを著しく侵害され、挙げ句に人民裁判いじめで回復不能な不利益を被る。

特定可能な個人相手に著名人や有識者、マスコミやネット民がスクラム組んで総攻撃する日本。

政治家の皆様は、これ何とも思わないんですか?

追記:ショックだった二つ

今回、私がショックだったことが二つある。①少なくない弁護士の人達が弁護士の肩書で丶丶丶(有罪前提の)検察官風に振る舞ったこと。②証言の確かさの精査方法。

上で【証拠の精査は誰が何処でどんな方法でやったんですか?】と書いたけど、科学領域における主張の実証は多くの場合実験(科学的方法論)を伴いますよね。

実際やってみて本当にそうなるかの確認プロセス。

証言証拠を精査抜きに説や論の成立へ持ち込むガバガバさって法が文系領域だから?だって【証言】はあるって言うけど、それ公正中立な犯罪捜査機関のプロが精査した捜査情報のことじゃなく、週刊誌記者が一方的に紙面へ載せた聞き取り情報等のことでしょう?

数学の証明はそうした検証挟まないけどそれは公理(それ自体証明抜きの前提)と定義があるから。無矛盾なら問題ない。

ときに松本文春騒動で使った公理は何ですかね。

みなし有罪?その公理の成否が問われてるんです。なお無罪推定は公理じゃなく自然の道理です。

なので無罪推定は刑事原則レベルの話じゃないんですよ。その存在について存在実証できない事象を証言をもって【有る】という括りにできんでしょ。神様の目撃情報、世界(縦軸・横軸)中に何件あると思ってます?これ物の筋道を順当に考えれば◯学関係ない。

記事タイトル
性的被害を受けたというウソの証言で約6年も身柄拘束_人が人を裁く刑事裁判の怖さ

引用:Yahoo!ニュース(アーカイブ)
2019/1/8(火)7:30
その存在について存在実証できない事象を証言をもって【有る】という括りに振り分けた結果がこれじゃないですか。

科学者の実証は現実整合性を大切にする。数学者の証明は論理整合性や厳密性を大切にする。(両者理論構成から人間的意味を排除してるが)じゃあ法律家の論証は何との整合性を大切にしてる?

よもや人間的正義感?

直接的客観証拠はなかなか見つからないから間接証拠や情況証拠を推論で繋ぎ合わせ事実へ近づけるんだろうけど、それ結局【事実】じゃなく近似操作では。

誤差(正負)=近似値−真の値

無視できない誤差を無視した近似操作の失敗例が上の記事ですよ。数学の場合は関数の一次近似とか使える条件下で使ってるんだよ。人の領域へ無造作に近似操作なんか持ち込むからああなる。

そしてあのレベルが法廷の考える合理的推論なんでしょ。そりゃ冤罪防げんわな。

「無罪推定の概念は法学用語である以上、刑事責任の話でないなら関係ない‥」などと力説する弁護士は、科学視点も数学視点も放棄して、一体なにを拠り所として何の権利があって他人様を糾弾してるんだろうか。

もちろん論評自体は自由だけど、【無い】と推定される事象をそう扱わずに名指し批評するんだから、誹謗の側面を持つことは否定しようがない。あと無罪推定の【語句】は法学用語でも【概念】は法学固有じゃないですよ。

まあ、科学的実証主義を放棄する弁護士がいるのはわかった。

もう争点変わってるじゃん

ツイッタ民の論調やネット記事も、肝心要の性加害の有無を(なぜか)争点にせず、未確定被害者に対する振る舞いや裁判に望む態度が問題にされてる。

『女性を激しく攻撃する松本氏の姿』とか『松本氏がこの裁判にぶつける「激しい感情」』とか『松本人志さんは、こういう人だったのか』などなど、性加害の有無について解明できないから性加害の有無と関係ない松本氏のセンシティブな箇所を批判するのね。

★無罪の(推定される)人間が、加害の事実を証明できない正体不明の他者に対して激しい怒りを持つのは自然な心の動きだろう。

だって松本氏”視点“では加害の事実がないんだから。

というか、疑われても怒らない人なんているの?怒るのが普通だろう。ツイッタ民、他人へ疑惑を向ける行為をカジュアルに考えすぎだと思う。松本氏よりもツイッタ民のほうが酷いわw

両者の法的地位は対等なのに、なんで被害申告者サイドが相手へ向ける怒りは無問題で、加害事実無しを訴える嫌疑者サイドが前者へ向ける怒りは行儀悪いとその一々を非難されるんだろう。

たとえば松本氏側の探偵を使った調査が非難されてるけど、じゃあ週刊誌記者が松本氏のプライベートを本人の同意なく勝手に調査する行為はなぜ許されるのか。

正体不明の被害申告者Aは自明に無謬かつ善だから無問題。

嫌疑側は自明に誤謬で悪だから許されない。こういうこと?

記者は悪を暴く善サイドで
探偵は善を挫く悪サイドと

あと、ツイッタ民は区別つかないと思うけど、探偵に調査依頼をしたことは事実の領域、これを工作活動と解釈するのは評価の領域。まともな人間は解釈を排した事実を好む。解釈から入るのは馬鹿。

巷でいわれる妨害云々も、松本氏側は否定してる。つまり公開情報から取得できる事実は三つ。

①探偵尾行調査の事実
②妨害を受けたとする主張の事実
③妨害工作の事実を否定した事実
これ以上でも以下でもない

結局、松本氏の中に【証明不能の咎】を見て取ってしまう偏見眼鏡をかけたまま彼の言行を審査するからアレ系の言葉になるんでは。

証明不能の咎って、それ信念や信仰の中からしか観念しようないですけどね。

これは□?それとも◯?

一般論、証言は事実を構成しない。なぜなら証言は所詮人の認知であり認知には判断が含まれ判断には経験記憶、推量、解釈が含まれるから。人の認知のテキトーさは下の動画のようなもの。一見して□に見えることから□だろうと判断(経験/推量/解釈)する人が大多数だと思うけど□じゃない。

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ツイッタ民は客観的事実(□∨◯)でなく、そうした他人の認知(□)で仮設し、解釈と推理を行い像を描くのである。つまり想【像】を【真実】といってるのである。

事実は科学の領域(厳密)
真実は意味非科学の領域(曖昧)

事実は推論の同一線上、先端に存在する属性ではない。推論はどこまでいっても所詮推論である。

上の動画、科学者なら視点を転回させる。四角□という視覚認知の仮設をまず疑う。こうした当たり前を蛇蝎の如く嫌い遠ざける弁護士が少なくなかったのは正直驚きだった。法律家は非科学へ重きをおくから【真実】などという曖昧な表現を使うのでは?

松本氏の『強制性の有無を直接に示す物的証拠はない』というコメントに対して、『通常は性被害(加害)の現場にそんなもの出ない。間接証拠や情況証拠があれば立証できる。』『証言だけでも立証できる。』などと力強く解説する弁護士多かった。

素人調査員が収集した九年前の事柄(証言)から有罪を導く一部弁護士たちと誘導されるツイッタ民。

刑事法学が推論と事実を同一視(誤差を無視)する【同じでないもの】を【同じもの】と【みなす】ための知見と技術を提供する学問なのだとしたら、社会に存在するのは危険なレベル。

誤差(正負)=近似値−真の値
無視できない誤差を無視した近似操作の失敗例がこちらです。

記事タイトル
性的被害を受けたというウソの証言で約6年も身柄拘束_人が人を裁く刑事裁判の怖さ

引用:Yahoo!ニュース(アーカイブ)
2019/1/8(火)7:30
こうした悲劇(人権侵害)が後を絶たない理由、刑事法学がガバガバ学問領域だからじゃないの?

ありがちな法廷文句に『女性らの証言は具体性、迫真性に富んだもの。』『ありもしない被害をでっちあげて告訴するとは考えにくい。』などがある。こうした言葉に刑事法学のガバガバさが如実にあらわれてると思う。

刑事法学は科学的実証主義と縁遠い、つまり近現代の基準に照らせば【知】の基準を満たさぬ中世の形而上学だったんだ。

あと少し続きます‥
日本国民が使い分ける無罪推定を見つめる二つの仮面


2024/11/09/183857投稿

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