東京新聞(2025年5月21日)斎藤美奈子氏コラムに興味深い記述があったので記録。
一部抜粋すると、氏は話題のWHO定義を引いてこう感想を綴ってる。
以下、東京新聞[本音のコラム]より
性暴力とはつまり「同意のない性的な行為」を広く含む。今日この定義に異を唱える人は少ないのではないか。(略)WHOの定義は特殊ではない。日本政府の見解も「相手の同意のない性的な行為は性暴力であり...
WHOの是非はさておき問題は次の箇所。
以下、東京新聞[本音のコラム]より
中居氏側の主張は「万引はしたが、泥棒呼ばわりは心外だ」とゴネているのに近い。性暴力の解釈を巡ってモメる段階はとっくにすぎているんです。
これ後段を前段のアナロジカル?に出来るかというと、WHO定義は内包縮小による外延拡張、対して後段の例は内包を同じくする外延の単なる言い換えです。
万引きも泥棒も(窃盗)犯罪でしょう。
図の諸概念をこう置き換える。
動→規範
猫→犯罪(法治⭕)日本国法
人→暴力(法治❌)WHO指針
つまり人間の定義拡張を巡って該当性論争が紛糾する最中、黒猫も白猫も同じ猫でしょって力説するようなもので、そりゃそうなんだが、両者はカテゴリ違いで論点に近さもないから意味不明なパラグラフになってる。
『>「万引はしたが、泥棒呼ばわりは心外だ」とゴネているのに近い。性暴力の解釈を巡ってモメる段階はとっくにすぎているんです。』と言われても、近くない!
あと、犯罪でない行為を犯罪で喩える話法、なかなかの侮蔑じゃないか?
暴力という言葉から何を連想するか?について、弁護士らの指摘は的を得てる。実際に刑法条文では【暴行】という語が多用されており、暴力という語を刑法と切り離して独立に観念可能かと考えてみると、自信をもって可能と断言できるほうが一般的だとしたら、ちょっと信じ難い。日本語としての暴行は【暴力の(他者への)行使】ですよね。
刑法の中で【暴行】という用語を検索すると、実に18回使用されており、一番目から【暴行陵虐】ですよ暴行陵虐。【暴行】と聞いて凶暴な響きやイメージと結び付かないほうが不自然で作為的。法曹や法学徒でもなければ刑法条文にある暴行を専門用語として掘り下げないでしょ多分。なのにWHOの暴力のときに限って考察するとかある?
上で述べたように、他者へ行使される暴力が暴行概念の内実だが、では皆さん、他者へ行使される暴力であっても「暴行に当たる暴力」と「暴行に当たらぬ暴力」とを混濁なく明瞭に観念できると。それが一般的だとすると、犯罪と結び付ける人多いのはナゼ?
斎藤氏は(弁護士が言うように)性暴力を「日本語としてその言葉が持つ凶暴な響き・イメージ」で捉えてるから、すなわち混濁なく明瞭に観念し難いから犯罪でない行為を犯罪で喩えてしまったのではないの?
まあ斎藤氏の文章に限らんのだが、皆さんの文章、読み手の意識が自ずと性暴力/犯罪を接着するような誘導語句に(悪意か無自覚かは謎ですけど)なりがちですよね。
けれども皆さんと違って
斎藤氏は一個人じゃない
斎藤美奈子氏は東京新聞コラムニスト(文芸評論家)として発信しており強い影響力や権威性を備える一方、中居氏は今や一個人である。言論の権力勾配では斎藤氏に分がある。
WHOに倣い内包操作して🆗ならば、マスコミという社会(権威・権力)装置を利用して行う暴力(の一種)と言えてしまわないか?
WHO定義や内閣府男女共同参画局ホームページとやらに犯罪でない行為を犯罪と推定または同一視してよいと誤信させる効果があるのだとしたら、やはり問題だと思う。
私人の感想レベルなら自己責任で勝手にどうぞだけど、第三者委員会などの社会的存在が無遠慮に個人へラベリングしてよい言葉じゃないよ。
非難該当性/根拠通用性(時代や地域など実効力の縦横射程)/相当性(非難程度)等を区別する人が大多数の社会ならべつですけどね。
まあ、犯罪と非犯罪の区別すらできない連中を利用して中居氏へ非難の声を集めるためラベリングしたのかも。
追記∶正当な防御権行使を二次加害と非難する重大な人権侵害
2025.06.02小見出しの通りなんだが、一般論、反論自体を二次加害と非難する手法は相手の正当な防御権行使を断念させる強迫なんじゃないの。性問題になるとほぼ必ず問題化される印象だが、相手の権利行使にスティグマや恐怖を与えて放棄を強いるやり口は人権侵害では。
ルールの範囲で行う正当な権利行使が加害行為とはこれいかに。
補記∶カルト信者の聖典と化した第三者委員会調査報告書
2025.06.04100歩譲って?第三者委員会の報告書が不可疑に正しいならば反論を認めぬ立場もわかります。でも不可疑に正しい反証認めねぇ‥ってカルトの経典くらいですやん。試しに知り合いにもし(三大宗教の)信徒いたら経典について自分が感じる疑問をぶつけてみるといい。嫌な顔をされるかもしれないし、一生懸命に経典の内容を擁護してくると思うけど、疑問をもつこと自体許さん!(教義に対する攻撃だ!私の信仰心に対する加害行為だ!)とヒステリックに反応する教団はない。事実、学問として成立してるのがその証拠。
反証可能性を奪われたら学問として科学として成立しないですからね。あ、無論のこと伝統宗教を科学的といってるわけじゃないですよ。サイエンスじゃないので。
2025/05/23/202557投稿