世の中に おもひやれども
子を恋ふる 思ひにまさる
思ひなきかな
久しぶりに、嘘だろ‥と身の毛がよだつレベチな事件を見た。なんだこれ。
記事タイトル
「親権取られるくらいなら娘を殺して自分も死のうと…」東京・世田谷区のマンションで生後3カ月娘を刃物で殺害か_28歳母逮捕
引用元∶FNNプライムオンライン
2025年11月4日

だが本命はFNN記事(ライブドアニュース)を受けてXインフルエンサー「月島さくら氏」がSNSへ投稿した狂的な思考について。
これ犯人の母親、DV受けてる車椅子生活の女性で身長110cmで旦那さんはロリコンという話を聞いて
これが本当なら親権渡すくらいなら殺害する方がマシと親心的に思ってしまうのも理解してしまう気がする
娘に手を出すロリコンもけっこう多いから。
もちろん殺人は良くないけど、私が娘ならそんな父親と暮らすよりは何もわからない赤子の時に死んだ方がいいなって思うから。
批判されそうだけどね、この意見。
月島さくら
https://x.com/tsukishimasakur/status/1985846254275051876
論評∶要点は四つ
①「事実ならば論法」を用い配偶者の真偽不明情報を流布し責任の所在を転換。これ、事実じゃなかったら?こうした未確定情報を前提に置く、つまり仮定を感情動員の道具に用いる手法は(相手が公人かつ公益に資する場合などを除き)道義の観点からも倫理の観点からも原則認め難い。
※加害者本人のインスタ投稿をわざわざ衆目に晒し「ほらこれが証拠!」と居直る人を散見しますが本人証言は純粋論理上、事実を直証しません。循環論法に証明力は皆無。
外部に表開示された他人の主観的真実を客観的事実と混同するのは冤罪のもと。
②上述①の情報を根拠に子殺しへ理解と共感を示す。「殺人は良くないけど」と否定評価しつつ、「私が娘なら〜赤子の時に死んだ方がいいなって思う」を逆接「けど」を用い接続してる。これ、「良くない」って書いてるじゃん!「肯定なんかしてない!」などと御本人がどんなに言い訳しても、日本語の性質(文末決定性)からすると文章の結論は動機への共感と行為の結果に対する許容だよ。
③「私が娘なら」のくだりは乳児から個人格を剥奪する身勝手な自己投影。
④月島氏は乳児の持つ無前提の特性を一顧だにしていない。乳児は絶対的弱者で保護されねばならぬ存在。被疑者は乳児を保護する義務と責任を放棄して、何ら罪咎のない抵抗不能な乳児の命を一方的に奪った。ここを評価から除外するなど考えられない。
理不尽に生存権を奪われる子供の立場をなんで考慮から外せるんだ?
***
つまり月島氏の投稿は「あゝこの人、自身の表層部(体裁面)をルールチックな形式的良否判断で装飾してるけど、深層部では加害者の動機に共感するあまり行為と結果を(被害者そっちのけで)許容しちゃってるんだな‥」と読める文章構成になってる。
月島氏は、「批判されそうだけどね、この意見。」などと影響について軽く考えてるようだが批判じゃなく批難相当ですよ。肯定可能な箇所が一つもない。いまだ信じられない。ここまで有害な文章が凍結することなく支持を集めながら流通するなんて。
これは共感の形をとった価値の転倒でとても危険。
だってそうでしょう。
「我が子の命を奪おうとも社会の皆様はわかってくれる。お母さん大変だったねと被害者扱いしてくれる。乳児の死を許容してくれる。」←こういう心象形成を促すインセンティブになりかねない。
これが(法の空白に対する悲痛な叫びとしての)仇討ちとかであれば被害者は讐仇になるわけで、そうせざるを得なかった人間らしい愚かさへ共感の余地があるんだけども。
この場合、「(ルール上)○○は良くないが、(心情は)理解できる」と意見表明されても被害者に酌量するところが皆無であれば、かつ内容対等であれば、別段違和を覚えない。
子供の事例と異なり理不尽に命を奪われるわけじゃないからルール破り(制度・手続き)のレイヤが着地点。
このかぎり私も「否定(逆接)肯定」構文使うことありますよ。たとえば‥
Original: karsai-nei-tsang.hatenablog.com | Author: [マBOY] | First published: 2025-11-06 | ID: pcm-puls