私はケア産業についてよくブログ投稿するのだが、ツイッター上で面白い口論を見つけたのでストックしておこうと思う。(bioを信じるなら)弁護士と医師による争いで対立構造が介護事故と似てるから。
※なお私は弁護士でも医師でもないですが、これは法律の話でも医療の話でもないから誰でも指摘可能です。悪しからず念のため。
投稿①(原投稿)
裁判官マップへの批判的意見について、「医療機関のGoogleマップにクチコミ書くのはいいのに裁判官だとダメなのか」的な反論が寄せられている件。 裁判官の場合、人に不利益を与えるのが本来の業務なので、恨まれないことが原理的に無理。その特殊性には留意を要する。検察官や警察官もそうだけど。
https://x.com/lawkus/status/2042700193846694038
投稿②(①引用返信)
医者だって同じですよ。全てクライアントの不幸がスタート、治療といえど何らかの苦痛/侵襲を与える。それでも今まで、誠意もって取り組んだ不可避の運命にすら、医者が悪いってジャッジしてきたじゃないですか。 今更どの口が。
https://x.com/marginalized_md/status/2042794726114627948
投稿③(②引用返信)
この感覚は弁護士とは真逆かもしれないですね 弁護士から見ると、基本的に裁判所も警察も病院や医師を贔屓してて被害者は基本的に泣き寝入りという感覚です 医療過誤訴訟はハードルが高すぎるんです 見てる世界が違いすぎてて議論にならないレベル
https://x.com/abcabcabc999666/status/2042881572303704527
ブログによる補足∶法医間の断絶
これは刑事事件ですが‥
高裁判決では、「せん妄」の専門家である医師の「幻覚であった可能性が高い」という証言を退け、専門家ではない検察側の医師の証言とカルテに「せん妄」の記載のないことなどを理由として、患者の証言を「直接の証拠として強い証明力を有する」と評価した。
引用元∶全国保険医団体連合会

実際、見ている世界は違う。
「Ex ante/Ex post」は非対称活動領域。両者は原理的に異なる情報文脈をもつ。医療Rから法領域Lの翻訳関手Fは非忠実・非充満・非同値である(つまり情報は潰れ、こぼれ、元へは戻らない)という構造的限界を前提するならば、一部非医師達の認識は「Fを(翻訳完全な)同値関手」として扱わなければ論理的に成立し難い。しかしその成立こそが、法医議論の成立を危うくする要因なのでは?という概念図が上掲になります。
補注∶圏Rの記述限界について
上図ではRを「Probabilistic・Contextual」と記述しているが、厳密にはRの対象として描かれている要素はすでに言語化・記号化された情報に限られている。
現場判断の多くはその手前にある言語に乗る前の認識。これらはRの対象ですらなく、図式の外側に置かれている。「言語化可能なものだけが情報である」という(しばしば無自覚な)前提に立つ場合、翻訳関手Fの非忠実性が問題になる以前にRの内実がすでに間引かれている。損失はFによる翻訳の段階だけでなく、Rの構成段階にも先行して存在する。
投稿④(③引用返信)
この発言からも、法曹が考えている医療訴訟がいかにズレた認識なのかが伺える。 勝ち負けで考えてる時点でもう話ができない。 訴えられた瞬間に回収できない致命的な損失が確定する。 勝ちなど無い。
https://x.com/blacksheep8270/status/2042929347653439529
投稿⑤(④引用返信)
正直こういう医クラの意見は「社会常識のない馬鹿」で切り捨ててよいというか、切り捨てるしかないレベルだね。自分たちを訴えられることもない例外的な特権階級にしろという単なるワガママなので。日本法において、訴権が及ばないとされているのは天皇だけだよ。
https://x.com/lawkus/status/2042964251128795339
Original: karsai-nei-tsang.hatenablog.com | Author: [マBOY] | First published: 2026-04-12 | ID: pcm-puls