政治思想キューブ——日本社会を政治思想地図にマッピングしてみた(リライト∶歴史と物語の違い)

戦後自民党が牽引した日本社会の立ち位置をオクタントモデルで描画しました。

昔作ったこれの3d版です。クアドラントマトリクスだと表現しきれないので。

憲法は偏りを志向してないので中央配置になってますが、社会実態(社会保障の実情と国民負担率)に合わせ位置を嫌味補正。

(嫌味ですよ、嫌味。)

欧州や中国は自民党を右翼扱いするけれど、それは極左視点だから。旧ソ連や中国の動態見たら明らかで、軍隊保持や核武装は右翼思想と本質的に無関係。日本や自民のどこに右翼要素があるのでしょうか。

日本の国政に右派政党なんて存在するのでしょうか。鷹派のことを右翼と勘違いしてる連中は数多みる。鷹派→右翼なら中国や旧ソ連は極右国家。ロシアや米国も極右。

イスラエルは鷹じゃなくハーストイーグルなんで、そうすると極右のさらに先?

私有財産性も虚構で、実質は条件付き(税を払い続ける限り)、期限付き(払えなければ没収)、使用料発生(固定資産税、自動車税...)のサブスクリプション。封建社会における給付地・封土(フィーフ⇔貢納)と機能上は同型じゃないかと。

極めつけは相続税という名のサブスク解約手数料。所有権概念の内実はこうした条件付き占有権の束ですよね。所有可能な財産など実のところ一つもないという。

寧ろ日本はもっと右傾化(≠保守*1)すべきところ、今の日本は自民党より左の立憲民主党が(左右の中間という文脈で)中道を僭称するトリッキーな状況。日本最大の左翼政党である自民党を右翼と印象づけたいのだろうけれど、この僭称は有権者の錯誤を誘う迷惑なレトリックなので止めてほしい。

中道を名乗るなら廃止とまではいかずとも、相続税や(国民経済とりわけ中間層下位*2を苦しめる)社会保険制度の縮小を訴えたらどうか。自民党より左の中道改革連合(立憲民主党)には無理でしょう?

かれらは「富裕層権力者」の味方ではないけれど、さりとて「市井人」の味方でもない。

辺野古然り、イデオロギーは誰かの幸福でなく運動の自己目的化n=sin(n)をつくる。自民党大会で国歌を歌った自衛隊員個人を(衆を募って)告訴する運動とかもそう。


脚注*1)これ付け加えると、左右と保革が異なる独立軸であるのと同様、本来歴史領域も左右の立ち位置と関係がない。左右どちらに立とうとも、歴史認識は科学的・哲学的リテラシーの問題だからである。

過去記事の既出テーマですが、説明コンセプトにグラフィカル表現を加えました。

いわゆる南京事件を例にとると、南京大虐殺を歴史的事実と主張する人はリテラシーがない。事実と解釈、客観と主観、歴史と物語の違いを区別できていない。

科学的・哲学的リテラシーがある人は南京大虐殺という語句を歴史に持ち込む不用意さに身構える。たとえば歴史的に東京大空襲で通用するところ、敢えて東京大虐殺⚫⚫⚫と表現する人いたら政治的作為を疑いませんか。

事実としての歴史でなく(着色⚫⚫された叙述詩を詠う吟遊詩人のように)物語りたいなら勝手にすればよいけれど。

事実としてそこで何が起こったか(歴史)
⇒殺人の有無、態様、損壊程度、量など

事実を紡ぐ言葉はどうあるべきか(物語)
⇒虐殺、殺戮、蛮行、ジェノサイドなど

この二つを峻別しない歴史は宗教(教義)

事物の性質

日常問題へスケールする

事実と解釈の混同例(歴史編)

①学者のケース


https://x.com/hazuma/status/1952266201310351371 より引用

②軍事ライターのケース

https://archive.is/izrAO

③海外のケース

記事タイトル
反捕鯨活動家、ワトソン容疑者_名誉市民に
パリ「連帯の意思表示」


引用元∶産経新聞
2025/2/4 09:08

記事タイトル
米国の第九巡回控訴裁判所は
シー・シェパードを「海賊」と断定


引用元∶日本鯨類研究所/共同船舶株式会社
2013年2月27日

シーシェパード船長は
海賊なのか英雄なのか

歴史とは叙事体で書かれた記録事実の束である。他方、当該事実の意味着色づけは物語である。この物語が一意に「普遍化・絶対化」する収束を宗教と言うのである。つまり日本の近現代史はドグマ。日本がアジアを侵略したという叙述を歴史と言うことは出来ない。物語である。尚これを歴史修正主義という者は事実と解釈を区別できない者である。

もし歴史的事実を叙事体で綴るならばこう。日本人は日本を侵略国と解釈する国際法違反の政治裁判(太平洋戦争物語)を受入れた。

日本が侵略したか否かなど只の人間にわかるはずもない。ですが、違法な政治裁判を受け入れた当時の政治判断は正しかったと思っています。

物語は「歴史認識として」強制された途端に宗教へと収束し始めるから他者の物語を奪うと必然宗教論争になる。私は大日本帝国聖戦論に立たないが、他者の物語を否定する気もない。ある戦争が「侵略であるか否か」と「侵略と評価すること」との間には存在論・認識論上の超えらない壁がある。

これは哲学視点のみならず
科学でも同じことがいえる

人間の視知覚は網膜像を脳が能動的に再構成したものであり「見た」という体験はすでに解釈済みの産物である。色/輪郭/運動感‥いずれも物理的刺激に神経系が意味を割り当てた結果に過ぎない。事物それ自体への直接アクセスは、原理的に遮断されている。またエリザベス・ロフタスらの研究が示す通り、人間の記憶は録画でなく再構成である。想起のたびに文脈・感情・事後情報によって書き換えられる。目撃証言の信頼性が法廷でも問われる所以である。歴史記述の原資料である「証言」そのものが、生理学的に可塑的な素材である。

古事記も物語でしょ。「出雲の国譲り」の話とか、出雲視点ならただの侵略では。

私の家系は元々新潟の土着だが、私の「明治維新物語」は我が郷土を火の海にした日本人同胞らによる許されざる蛮行ですよ。

米国による原爆投下はジェノサイドを超える(歴史に類例なき)政治的大殺戮ですよ。

しかしだからといって、これらを蛮行として記憶(歴史化)せよ!とは思いません。

だって私の物語だから。私の物語は私が私の世界で紡いでゆく。まるで吟遊詩人が失われゆく悲しみを詠うように。


脚注*2)ここは統計上ニアプアに位置づけられる層であり、構造的にはプレカリアート、生活実態としてはALICE層として把現される「中間と貧困」の境界である。

この階層構造を概念図で表現すると下掲図なります。

これは嫌味じゃない。

記事タイトル
子育て支援金、保険料上乗せは26年度1人6850円_健保連集計

引用元∶日本経済新聞
2026年4月28日

左翼に乗っ取られたリベラリズム(ソーシャルリベラリズム=現代リベラル)は経済弱者の首を締める社会政策ばかり乱発する。


Original: karsai-nei-tsang.hatenablog.com | Author: [マBOY] | First published: 2026-04-25 | ID: pcm-puls


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