
一言∶今日本に必要なのは、自由民主党のような数直線上(-∞,0]区間内の(見方によっては零を含む)相対右派ではなく、「民を救う名目で民から奪う左派的経世観」と対峙する本物の右翼政権。
言い換えると、国民の財産を奪わない、国民の手元に財産を返す、お金を残す政治。
前回記事(政治思想キューブ——日本社会を政治思想地図にマッピングしてみた)の続き。これも過去記事(日本経済は資本主義の修正版か社会主義の変装版(コスプレ資本主義)か)の続きみたいなものですが。
さて、前回は下掲記事の紹介でブログを結びました。書こうかどうか迷ったんですけど、自民党員や自民党支持者、野党や諸外国まで高市自民党を右翼政権へ位置づけるデタラメが横行しているので、あげておこうと。
記事タイトル
子育て支援金、保険料上乗せは26年度1人6850円_健保連集計
引用元∶日本経済新聞
2026年4月28日
- 1,独身税という揶揄の限界
- 2,子育ての脱私有化という読み
- 3,社会財か、国家資源か
- 4,動員論理の怖さ(不可視の強制)
- 結論∶高市自民党は(まあまあ)左翼
- 追記∶介護問題との接続
- 追記∶ついに日経社説まで社会主義政策を推し始めたようです‥
1,独身税という揶揄の限界
子ども・子育て支援金制度に対し、「独身税だ」という批判が広まっている。子供を持たない者が他人の子育て費用を負担させられるという不満の表現としては理解できる。しかしこの揶揄は、制度の構造的意図を捉えるどころか、むしろ設計者にとって都合のよい矮小化として機能している。負担の非対称性に着目するだけでは、問うべき問いに届かない。問われるべきは、この制度が「何を意図しているのか」である。
2,子育ての脱私有化という読み
支援金制度の構造を素直に読むなら、それは子供を「家庭の私有物※」から「社会的再生産の担い手」として再定義し、その費用負担を社会全体へと分散させる試みである。血縁・婚姻関係を持たない者も含めた広範な層から拠出を求めることは、子育てを家庭領域から引き剥がし、社会的費用として組み込む動線に他ならない。※子は親の所有物じゃない!系の非難は不要です。子が物権の客体でないのは当たり前。しかし(どんなレトリックを用意しようとも)子は事実上の排他的支配を受けることからブログ説明上、私有・所有概念を用いる。
カントの表現を借りるならば「物権的対人権」あたり。
独身者が「他人の子供」に財産を拠出するという構造は、従来の家族論理を超えた設計主義的紐帯の生成である。これは「子育ての社会化(共有化)」と呼ぶことができる。
問題は社会化それ自体ではない。
その社会化が、市場・国家・共同体のいずれのレイヤーで、いかなる論理によって行われるか、そこに問いの核心がある。
3,社会財か、国家資源か
「子育ては社会全体で」という命題は、語られ方によって正反対の意味を持ちうる。水平的自生秩序に基礎づく共同体的「社会財としての子供」概念と、国家の再生産危機への対応として動員される「国家資源としての子供」概念は、似て非なるものだ。支援金制度は社会保険という準強制的な国家媒介を通じた「子供の社会化(共有化)」である。それは自発的な共同性から生まれた水平的連帯ではなく、国家が設計した垂直的な動員の回路である。少子化対策という名目は、制度を「公益」の外皮で包む。しかしその内実は、再生産能力の維持という国家的必要に応じた資源動員の論理に近い。
4,動員論理の怖さ(不可視の強制)
この制度の怖さは強制の不可視性にある。「税」ではなく「保険料」という形式を採用することで、国家による徴収は相互扶助の外皮を纏う。異議申し立ての足場が、制度設計の段階で既に崩されているのだ。
さらに深刻なのは、動員の目的が日常の持続可能性、少子化対策という名目を持つ点である。戦時動員であれば少なくとも「非常事態」として可視化される。
しかし少子化対策という動員は、それへの批判を「反社会的」に見せる構造を内包している。「子供福祉に反対するのか」という論法が、批判の声をあらかじめ封じる。
加えて、「子育ては社会全体で」という思想が一度定着すれば、教育・養育の内容への国家関与を正当化する次のステップへの地均しになりうる。家族という私的領域を国家へ漸進的に包摂する‥制度単体ではなく、論理拡張可能性こそが問題の核心である。

家庭領域の解体
(負担共有が生む社会的介入の正当化)
支援金制度がもたらす変容は、財政的負担の再配分にとどまらない。より根本的な問題として、子育てという行為をめぐる「無作法」の観念が解体される。
かつて、他家の躾けや教育方針に口を挟むことは無作法とされてきた。この規範は単なるマナーではなかった。これは私的領域の境界を守る根源的社会規範として機能していた。
その根拠は明快である。
子育てに対する裁量権は費用(責任)を負担する家が持つ、という所有権論だ。子供の養育費を支払う(責任を背負う)のは当家である。したがって子供の教育方針は費用(責任)を負担する当家で決める。自明である。
この単純かつプリミティブな対応関係が他者の干渉を排除し、家庭の自律性・独立性を排他的に支えてきたのだ。
家族の紐帯、父子の親敬関係ですかね、伝統保守っぽい言葉で表現するならば。ここからアジア色を取ると、こういう言いかたもできる。養育費の負担は親の神聖な権利。
支援金制度はこの対応関係を切断しかねない。子育て費用の拠出者は全国民となり所有論の論理は不可避的に反転する。
「私も子育て費用を払っているのだから」という意識が介入の正当化根拠にされかねない。虐待への介入、教育方針への意見、養育環境の評価。これらはすでに「社会的責任」として語られているが、支援金制度はその理論的インフラを財政面から強化する。
負担の共有は「関与の正当化」を必然的に生む。🧑🦰👩🦰}私達は独身子無しだけど、子育てを金銭面で負担してきた!
——所有権理論の切断——
これは制度の副作用でなく「子育ての社会化(共有化)」という論理の内的帰結である。
かくして「無作法」という観念は時代遅れになる。介入は善意の名のもとに制度的根拠を得る。根源的家事領域の概念的解体は、強制によってではなく、左翼的設計思想・合理主義の静かな浸透によって進行する。
結論∶高市自民党は(まあまあ)左翼
子ども・子育て支援金制度を「独身税」と呼ぶことは、負担感情の表現としては理解できるものの、制度批判としては射程が短い。この制度の目指す先は「個人の社会化」であり、国家媒介による垂直的動員である。
そしてその社会化は、財政的負担の再配分にとどまらず、家族領域の概念的解体を伴う。費用負担の国民化は家庭の自律性・独立性の根拠を掘り崩し、介入を正当化する理論的インフラを静かに整備する。「無作法」という規範の失効は、その帰結に過ぎない。
「社会全体で子育てを」という言説の温かみに隠れた動員論理と家族領域の解体‥
高市自民党が右翼や保守ならば、こうした構造を日本社会へ埋め込む選択はしまい。むしろ批判する側であるはずなのに、やはり高市自民党は全体主義的で設計主義的で社会主義的(高福祉志向)である。これを右翼扱い出来る人は論理的必然的に極左。だって左翼を右側に置けるのは極左だけでしょう。
とはいえ、高市自民党は右翼でも保守でもないけれど、外交・安全保障政策がもっとも現実路線である点、他の左翼政党と一線を画している。
国家主義や軍国主義と右翼思想を結び付けるなら、旧ソ連やロシア、中国、米国、イスラ‥あたりが国家主義・軍国主義なのでは。超国家主義の極右軍事国家。歴史修正を右翼思想と結び付けるなら、中国やロシアが得意とする物語の既成事実化しかり、左翼だってやる。辺野古沖抗議船転覆事故に対する振る舞いもそうでしょう。
記事タイトル
共産・小池氏「平和の問題を勉強して沖縄まで来られた方が…」「事故は事故として反省」
引用元∶産経新聞
2026/4/28 11:41
女子生徒の死すら(左翼好みに着色して)物語へ仕立て上げ、反米政治闘争を平和教育物語として政治家が揚言してしまう。
左右は関係ないんだよ。
それと、右翼と保守は同線上では邂逅しない別個の評価軸ですから念のため。
追記∶介護問題との接続
2026.05.01加筆「子育て支援金制度」は独身子無し層へ向かう「他人の子供や孫に老後の尻ふきさせるのか!」系の道義的非難を相当程度抑え込む。必ず報恩主張の理論的根拠に使われる。
🧑🦰👩🦰}私達は独身子無しだけど、子育てを金銭面で負担してきた!
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筆者は「介護保険制度」廃止論者ですが、もうそういう段階ではないのかも。
追記∶ついに日経社説まで社会主義政策を推し始めたようです‥
2026.05.06加筆記事タイトル
[社説]子育ては社会全体の責任だ
引用元∶日本経済新聞
2026年5月5日 19:00
これ以上の負担増は
境界労働者層の現実的選択肢へ
生活保護受給を諦観させるだけでは?
高市総理も自民党も左翼だから国民から財産を奪う政治になるのは(思想上は一貫するという意味で)仕方ない。だが日本経済新聞は左翼政策を支持するスタンスだったのか!?そうだとすると、残念である。私は日経を自由の擁護者側に置いていたよ。
Original: karsai-nei-tsang.hatenablog.com | Author: [マBOY] | First published: 2026-04-30 | ID: pcm-puls