チェスはいい。
何といっても駒がデカくて視認性抜群。
駒の動きも将棋と似ててわかりやすい。
将棋の駒は見づらい。
これはゲームデザインやアクセシビリティに関わる本質的な問題だと思う。
とくに矯正視力で普免ギリギリの私みたいな人間にとって、将棋の盤面把握(デコード)は認知負荷が異様に高いのだ。
将棋駒は「文字」で識別する設計になっている。形状は同一、判別は漢字依存(書体差あり)、相手駒は上下反転、成駒で文字変化、小型盤面では潰れる。特に相手駒の反転は視線移動のたびに認知負荷を生む。将棋は瞬時に意味を認識することが難しい。
天童草書や香月草書で書き込まれた小型将棋盤用の駒で、かつ年季入ってる代物だったら(俺の視力じゃ)最早判別出来ねぇ‥!
他方、チェス駒は極めて視覚工学的。
シルエットが皆異なる。
白黒で陣営判定できる。
文字を読む必要がない。
盤面を俯瞰した瞬間に情報を得られるので情報取得コストが穏やか。ゲームUIとしてはチェスが圧倒的に優れている。
Chess >> (as UI)
これは「きのこたけのこ戦争」のような主観論争でなく客観的事実である。
Chessmanの移動範囲
駒の動きはほぼ将棋
キング(王将)
クイーン(飛角)
ルーク(飛車)
ビショップ(角行)
ナイト(桂馬 ≈)
ポーン(歩 ≈)
今日も武者修行頑張ろ‥
***
最後に、少し将棋を擁護して終わりたい。
将棋UIが「改新」されなかった理由は決して怠慢だからではない。認知負荷が参入障壁として機能し、それが習熟者の権威と共同体の凝集力を支えてきた。「見づらさ」は欠陥ではなく、文化的振る舞いだった。
柔道を見よ。
嘉納治五郎翁は普及のため意図的に脱・伝統化し、柔術という個を思想的技法的に整理した。スポーツ競技となったJUDOは世界へ広まり(そして)武術性を失った。普遍化とは、個別性を削ぎ落とすことだ。
将棋は普遍化の道を選択しなかった
だから将棋は将棋のままでいられる
普遍でなく不変と深化の孤高へ敬礼
Original: karsai-nei-tsang.hatenablog.com | Author: [マBOY] | First published: 2026-05-07 | ID: pcm-puls
