【後編】「オバケで救われる人がいる」志願者の発言に虎は何を思う。事故物件の心理的瑕疵を取り除くための室内調査をしたい【児玉 和俊】[450人目]令和の虎 - YouTube
久しぶりに令和の虎をみた。
トモハッピー氏の発言だけ意味不明だった。「オバケなんて忘れて楽しくって、」あれエンドユーザー層に向けた発信なのかオーナー層に向けた発信なのか、一体誰に贈った言葉なのだろう。
まさか志願者に向けた発言?
前編でも霊は「心の問題」だと発言してた。その通りだけど、心理的瑕疵物件の存在がエンドユーザーへ与えてしまう不可避的影響を志願者の提案するセレモニー形式で解消可能ならば(物件価値の回復へ寄与するならば)宅建業者にとっては意義ありまくりでは。
この話は前提としての霊存在の実在性など問題でなく、志願者の考案したセレモニーが不安軽減に作用するか又賃料等を反転させる結果へ繋がるか否かでしょう。
そこへ利点を感じないオーナーはいないと思われるから安藤さん林さんの洞察は流石だと思った。
セレモニーの態様は商売視点で適宜柔軟に改良してゆけばよいだけで、日常に視点を戻せば葬式だって建前死者の弔いだけど本義は遺族の心の整理、生者のための儀式なのだし心の問題だからこそ(いうて簡単に忘れられないからこそ)心の中へ境界をつくる宗教的舞台装置と物語を用意してケジメつけてるわけでしょう。
大多数の日本人はさ。
こうした一般的習俗観から見るとトモハッピー氏の価値観は極めて特異だが、そうした道教・儒教圏で特徴的な暗い観念に根ざした「死者の取扱い」それ自体が感覚に合わないのだと言いたいならば、それはそれでわかる。日本における死者と生者の関係は暗い。
メキシコみたいにポジティブがいいよな。明るく楽しくさ。もし仮に霊なるものが実在するならば、楽しく一緒に踊れば良いじゃん的なノリ。日本は暗く陰鬱な方へ思考を運ぶから、他方で心の存在と考えた場合、そりゃ陰鬱な世界しか現前しないから正に自縛。
地縛霊の正体は「視える人」自身の自縛された心では、と。
じゃあその陰鬱を解消する儀式が必要だよね派vsそんなこと考えなきゃ済む話だろ派の相克。
ともあれ実在しない、つまり心の存在でしかないはずの認識産物(例:可愛い吾子というときの吾子)へ実体を見て取る素朴実在論派が人間の大多数だと推測するから目の付け所は大変良いと思う。
これはベクトル異なるだけで取り扱う対象は同じく虚構。どんな人間も虚構なく生きてはゆけない。
この虚構の此岸と彼岸を行き来する中今へ大昔の人達は怪異と名付けた。ぜひ成功してほしい。大島てる氏とコラボしたらよさげ。
ところで今回なぜ令和の虎を話題に選んだかというと、つい先日【ロックウッド除霊探偵局】をNetflixで視聴したから。
日本のオカルト心霊ものよりは◯です。ジャパニーズホラーは酷すぎるから比べても仕方ないけど。