24-BLOG

雑文集

錯覚する全称命題

副題:論理とは大人の作ったファンタジー

あるあるの疑問。

上記のような見解
「関西人はタコ焼きが好きだ」という言明は、たこ焼き嫌いの関西人がただの一人もいないことを意味しませんよ(笑)
は成り立つか。

「AはBである」という場合における「A」の扱い、その内実について、違和感を覚える認識がネットでは度々開陳され、結局何を伝えたいのかわからない、意味の喪失したコミュニケーションが今日もあちこちで飛び交っている。

「A」の扱いとは「A」概念の適用される範囲の事だが、たとえば“花は美しい”という時の「花」とは「すべての花」を指すのか、あるいは「ある特定の花」を指しているのか。

※論理文とは幾つかの諸命題によって成り立つ文の事である。命題とは二値(真偽)を判定できる文の事である。従って述語は客観的事実(fact)を扱うものでなければならず、主観的意見(mind)であってはならない。上述の「花の“美しさ”」などは論理文として不適格であるものの、わかり易くイメージし易いため用いた。悪しからず。

全称命題とは、主語を「すべての」で修飾し、直後の言葉の意味をこれへ限定する命題である。

特称命題とは、主語を「ある(不特定)」で修飾し、直後の言葉の意味をこれへ限定する命題である。

単称命題とは、主語を「この(特定)」で修飾し、直後の言葉の意味をこれへ限定する命題である。
では、“ただ花”と書いた場合はどうだろう。分かりやすく「人間」でたとえる。

まず人間を定義してみよう。

参考として、いつも御世話になっている新明解国語辞典から一部引用しておく。

「人:われわれの同類として、 他の一切の生物から区別されてその存在が認められる動物。新明解国語辞典」

定義論
定義とは、類と種差を定める作業。類とは概念の及ぶ範囲(外延)であり、種とは性質の差異(内包)である。

区別の中身を具体化すると、次のように言えるのではないか。

人間定義
「人間(種)」とは
「理性(種差-内包)」を有する
「動物(類-外延)」である

つまり、ただ人(ここでは人間と人を区分しません)という語句を用いる限り、定義を満たす生物は必然的に人に該当し、述語の対象にかかってしまう。当たり前だ。

では、再び青識亜論氏の見解を見てみよう。

関西人を地域で定義するならば、関西圏の人は必然的に関西人。つまり上記の言明は以下の意味となる。

A:関西圏に住居あるいは活動実態を有する者(人の定義を満たす者)は、タコ焼きが好きな者である。
これは、ただただA命題の真偽問題。
非A:たこ焼き嫌いの関西人がただの一人もいないことを意味しません。
Aかつ非Aを主張するなんてナンセンスだろう。

図にするとこう。

まず、他の生物と区別される特定の要素を持つ者の集合「人間」を赤枠で定義し、更に特定の要素を持つ「関西人♥」を青枠で定義する。

【例】
すべての曜日は日曜日である→偽
ある曜日は日曜日である→真
この曜日は日曜日である→真or偽
ちなみに論理という推論形式は言うほど簡単じゃないし私自身できないですから、他人の論理性(有無や強弱)について何某か指摘する事自体ほとんどないのですが、当該ツイートの主は自らネット論客を名乗り他人様の論理性を審判する御仁ですので例外。

あと、誤解してる人の多い印象ですが、論理とは推論形式に正しく則っているか?‥を問うものであって、発想であったり「価値・認識・判断」自体の正しさを保証するものではありません。

論理的に正しい、、は「論理という推論規則に則っている。主部〜述部間が整合的である。」以上でも以下でもないのです。

たとえば、ユークリッド幾何学を構成する以下の諸前提について、これらの実在を否定する事は可能か不可能か。

定義①
点:点とは部分をもたないものである。点には長さも幅も厚さもない。

定義②
線:線とは幅のない長さである。長さは線の第一の属性であり、異なる線を比較しうる指標である。線には厚さもない。

定義③
線の端:線の端は点である。点は線の部分である。線と線とが交わったところは線の端となるので、それは点である。

定義④
直線:直線とは、その上にある点について一様に横たわる線である。

私の頭脳では、存在レベルで肯定する事さえ難しい。皆様は、幅や厚みのない長さ(線)を厳密にイメージできますか?

それって「線」じゃなく「距離(同一平面上における地点間の隔たり)」ではありませんか?

私は観念世界にさえ「線」を描像できません。鳥瞰すれば線の“ようなもの”を描くイメージ操作は可能です。


しかし虫瞰すれば途端に幅や厚みを持ってしまう。「点」も同じです。

どれほどミクロに点や線を描像してみても、それは点でも線でもないのです。

つまり論理とは、それを信仰する限りにおいてのみ機能しうる、大人が作った実在なき(存在すら怪しい)無機質ファンタジーでしかないのです。

※私は論理不要(定義・公理の意義否定)を主張している訳じゃありません。

悪しからず念のため。

© 24-BLOG Repost is prohibited
I'm in a contract with Mikata 弁護士保険