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〈WSサロン s24プロ〉店主の熟〻日記

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人生所詮夢幻

松原タニシ氏の“事故物件生活”を元に制作された映画、その名も「事故物件 怖い間取り」を最近になってようやく視聴した。エンターテイメントとしてはなかなか面白かったです。旧巨大匿名掲示板などネットに散らばる怖話あるあるを詰め込んだかのような構成と展開で、話自体に目新しさはなかったものの、伝統的怖話ファンにとってはそれがかえって安心感に繋がった。リアリティーはないが。

んん?
リアリティー??

なんだリアリティーって。
幽界の話や怪談にリアリティー?
自分で言っててなんだか物凄く違和感。

realを直訳すれば現実、写実。
realismだと現実主義。写実主義。

realismってイデア論の系譜で、ここから存在するとは何か?が始まったと言える。

私の家猫を“私は”可愛いと認識する。つまり、この認識は“私にとっての”猫であって、他人視点では可愛いと思わないかもしれない。

しかしそうすると、ここに認識論上2つの異なる猫が同時存在する事になる。

いやいやそれは観念上に存在する猫の話なのであって、事実現実に存在する猫は1つでしょう。

・・なるほどもっともだ。なのだが、ここで人類は大きな問題にぶち当たる。

事実現実として存在する、そのモノを、人はどうやって認識するの?

人は知覚作用を通してしかモノ(者・物)に触れられない。

その事実現実としての猫を「イデア≒物自体」と呼ぶが、残念ながら人は物自体≒イデアを見ることも感じることもできない。

人は自我の内世界(意識)に現象する物自体≒イデアの“写し”を覚知認識し、見て感じとっているにすぎない。

実在とは、たんに(私又は貴方にとって)存在しているのみならず、(私又は貴方など)人の意識から独立してなお、つまり人の認識にかからしむ事なくその存在が認められるモノ。それこそが唯一の事実現実なのだ。リアルなのだ。

実在の別称
⇒普遍・絶対・本質・抽象
対義
⇒特殊(個別)・相対・現象・具体
つまり「可愛い猫(我が子に入れ替えても同じ)」などといった「個別的・相対的・現象的・具体的」なクオリア(感覚質)は科学的リアリティーのない実証不能かつ再現性のない認識者の頭の中だけの思い込みなのだが、では実在しない(リアリティーがない)から、この世には存在しないのだろうか。

そうであるとすれば
我々はまさに夢幻の住人
顕も幽もなし・・

と、冗談もそこそこに本題。
(いや繋がってるけど。)

最近ある夢を見たのです。
松原タニシの「長いマフラーの女」

youtu.be
こちらを視聴してからの出来事なんですが、住居の部屋ドアを…

バンバン!
バンバンバン!
バンバンバンバン!!

と激しく叩く音で目が醒めるんですね。

この段階では恐怖心とかないんですが、なんだろう?と思ってドアに近づこうとすると、突然頭の中に光明真言(←一応わし真言宗)が再生される…次の瞬間、ドアが開いたかどうかもわからないくらい急に視界がボヤけ、代わりに鮮明な光の五芒星(←護身。古神道)が眼前に現れそしてまた目が醒める…といった些細な夢。

当然と言うべきか、映画のような展開にはならないですし、怖くもないのでただのネタ話なんですが、松原タニシ「事故物件」視聴記念に独白してみました。 モノローグですね。

所詮はただの夢

YouTuber動画との因果関係なんてあるわけないです。1万パーセントない。

この手の話が好きな人は以下の過去記事もどうぞ。






私自身は「無神論・物理主義」を原則に置く人なので、スピリチュアルやオカルト好きのかたは面白くないかもですが。
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