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価値の順列という謎ワード

副題:社会と没価値性
(半順序集合を思想する)

「価値の順列」という謎ワードを見た。漫画家の小林よしのり先生かな。おっしゃってたの。

あまりに謎ワードなので、少しだけ書いておきます。

価値観の話なので、一応過去記事「社会正義の詐誕」を載せておきます。

さて、順列とは配列の事ですが、配列とは「幾つかのものについて順序を考慮し並べた列」の事です。

では順序とは何か。

新明解国語辞典によれば、「一連の物事において、始め(その前)に何が、 その次には何が位置するかという、 あとさきの関係」とある。

理系に寄せて定義するならば、「モノとモノ」の二項関係が以下の性質(①反射律②反対称律③推移律④全順序律)中、①〜③を満たすとき、その関係を「(広義の)順序」という事ができます。

集合Pにおける任意の以下要素(元)について、、

① A∈P, A≦A
② A,B∈P, A≦B∧B≦A⇒A=B
③ A,B,C∈P, A≦B∧B≦C⇒A≦C
④ A,B∈P, A≦B∨B≦A
関係記号「≦」は「右の数より小さいか、右の数と等しい数」を意味しますが、面倒なので二項関係を表す記号を「<」で定義し直し、上記①〜③を以下のように改める。

これは「(狭義の)順序」といえます。一般的な順序概念はコチラかと思います。

① ¬(A<B)
② A<B⇒A≠B
③ A<B∧B<C⇒A<C

集合Nの要素1,2,3があるとき、これは順序か。

1より2が大きく、かつ2より3が大きいならば、3は1より当然に大きい。(推移律)したがって2が1より小さい事もなく(反反射律)両者は等しくもない。(非対称律)又いかなる要素も比較可能である。(全順序律)

では、集合A={1,2}の要素を冪集合の包含関係として見た場合、この関係は比較可能な順序だろうか。

数学の話をしたいわけじゃないので空集合を除いて表現すると、{1},{2},{1,2}のようにAの冪集合Pから3つの要素を抜き出せる。しかし{1}と{2}は他方を包含していないですから比較可能性を満たしません。

整除関係(m/n)も同様です。

「6/3」は比較可能ですが、「5/3」は比較可能性を満たしません。

このように、比較不能な関係(全順序律を満たさない関係)を集合内部に持つ順序を半順序といいます。

ちなみに集合N={1,2,3,6} に整除関係で順序を入れると束になります。冪集合P(A)の包含関係による順序もまた∅を最小元、Aを最大元とする束です。

たとえば集合A={x,y,z} に冪集合Pの包含関係による順序を入れると以下のような束になります。


ハッセ図
I, KSmrq, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

・・これとよく似た空間が現実に存在しませんか・・

人間社会というのですが。

人間同士は比較不能を許容する半順序の関係で繋がるネットワークである。と言えます。

最後に冒頭述べた順列とやらを自然数1,2,3で作ってみます。

価値の元が“3つ”などという事はありえませんが。

①1-2-3 ②1-3-2
③2-1-3 ④2-3-1
⑤3-1-2 ⑥3-2-1

人間の“実存”を比較可能な整数と考える権高な前提を私はもちませんが、価値に順列があると考えられる人はどういった基準で配列内部の並びを公に一意づけ、また①〜⑥の並びを公に一意付けるのでしょうか。

一意とは、たとえば素因数分解「10=2×5」における自然数のもつ性質がそうで、これは文字通り素因数分解「10=2×5」における自然数のもつ性質、、という言葉の文脈(ルール)があるから一意性を主張できるのです。

【命令】
自然数を+1の順に並べよ。

このルールなら1の後者に収まる数は一意に2です。

では、数学でもない価値観領域にこれら前提を置く事の必然性や前提の正しさは、どうやって証明するのですか。数学では証明不要でも、人の価値観は数学と違いますから証明抜きに前提するのは横暴でしょう。

思想で証明可能なのでしょうか
常識で証明可能なのでしょうか

常識とは辞書的な意味である「健全な社会人なら持っているはずの(ことが要求される)ごく普通の知識・ 判断力。」の事でしょうか。

はたまた普遍・不易・絶対感覚の継受など宗教概念を柱とする超越思考の類でしょうか。

人は超越万古の神ならず
人は専制独裁の王ならず

価値は諸個人を超越した所に存するのか、又は個々人の内なる聖域を住処とする、つまり属人的な存在なのか。

前者であるなら誰がそれを正しく知覚できるのか。旧時代、その役割を担ったのは宗教だった。

現代はいわゆる専門家だろうか。

後者であるなら誰がそれを正しく差配できるのか。旧時代、その役割を担ったのは王権だった。

現代はいわゆる専門家だろうか。

両者に共通するのは「正しさ」を一意に順序づける主体はいつの時代も権威である、という発想。権威主義。

非専門家、つまり大衆が客体。

ちなみに、この権威主義の反対が民主主義です。

過去記事「社会正義の詐誕」や「宗教と哲学」で書きたかった事は、そういった順序づけられる(順序づけよう)という傲慢な思考が社会に争いをもたらすのでは??‥という拙い推考。

いわゆるコロナ禍で痛感したのですが、エリート(選良)でもないのに、つまりそうする民主的正統性もないのに、大衆を善導あるいは差配せんと権高に振る舞う反民主主義メンタリティの専門家目立ったなと。

あれが専門家共通のメンタリティなのだとしたら、怖い。

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