チェリーピッキングという詭弁術がある。
チェリーとは、多くの事例の中から自分の意見ないし主張強化に有用な事例のみを選んで根拠に用いること。言論って、大概がこれなんだなぁ‥とワクチン論争をみて改めて感じた。異なる立場それぞれが、互いにチェリーピッキングして対立者を非難誹謗し合っている光景は、ちょっと引く。
(もっとも、私の嘆息もチェリーピッキングには違いない。広大な言論空間の一部を観測して嘆いているにすぎない。)
100%確実な医療など現実にはないのだから、被る可能性のある危険と得られる安全。利点と欠点。これらをつまびらかにする義務が専門家にはあるのだと思いたいし、報じる使命が報道機関にあると信じたいし、責任を引き受ける覚悟を行政には求めたいよね。
ありもしないリスクを喧伝する行為はデマに違いなく、リスクにのみ着目して針小棒大に過大評価する態度は反科学と言われても仕方ないが、リスクなど存在しない‥という言明やリスクを考慮する必要はない、などといった類も同様にデマであり反科学だろう。
ただ、ネットに多いイデオローグを除けば、私は医師を信頼すべきプロフェッションだと思っているし、接種するメリットがリスクに勝るからワクチン打つけれど、反対判断(事実判断でなく価値判断)を非難誹謗できるほどの厚かましさはない。
新型コロナワクチンの接種後の健康状況調査(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_kenkoujoukyoutyousa.html
新型コロナワクチンの副反応疑い報告について(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_hukuhannou-utagai-houkoku.html
リスクは極小と思うものの、ワクチン打つのが嫌な人はもう仕方ないよな。
後者は定性的なフィールド
・ワクチンが「原因で」死亡した
・因果関係は評価できない
ただし厚生労働省は因果関係を「評価できない」としているし、検証には時間を要する。
枠内追記
新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要 pdf
厚生労働省

で、結局こうなる・・
2021.10.14
枠内追記
ごくまれに若い男性で心臓の筋肉などに炎症が起きるおそれがあるとして、念のため10代と20代の男性に対し、ファイザーのワクチンの接種を検討するよう勧める方向で調整に入りました。
〈10代・20代の男性 ファイザーワクチン接種検討を推奨へ
厚労省〉
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211013/k10013306041000.html
(NHK)
ネットのイデオローグが責任持つ訳じゃないし、医師は責任をとらない。(医師は無責任)
誰も味方になってはくれない。
下手に弁護しようものなら「反ワクチンの人・反科学の人・ワクチン推進に害悪な人」などのレッテル貼られ社会から排除されかねない。
それでも御国のため細かい事を気にしてはいけない。すべては他人様の為、またワクチン非接種者排除(ワクチンハラスメント)から逃れる為だ。
生きていれば予防接種健康被害救済制度があるしね。
枠内追記:いわゆる反ワクチン関連の本が某プラットフォームから削除されたとのこと。ワクチンに関する医療情報については疑念一つ投げかける事さえ憚れ、ワクチンは100%確実な医療と見做して発言しないと消されそうだ。言論は言論によって修正されるものと思っていたし、そもそも100%確実って概念自体反科学じゃないか?
まあ民間企業だから仕方ないけれど、残念ではある。

しかし毎度の事だけれど、価値は事実に自明に内包される、といった科学信仰もそろそろキツいな。トロフィム・ルイセンコのような「信奉する価値に沿って事実を捻じ曲げる」暴挙を許した旧ソ連社会も凄いが、価値を「事実に含まれる属性」であるかのように取扱い、科学と規範を混同する(科学信仰の)科学者や医師の所説を当然視する日本社会もまた凄い。
旧ソ連と双璧。
かつて日本はソ連型戦時共産主義(戦時統制経済体制)の国だったから、科学者や医師達もマインドを受け継いでいるのかもしれない。両社会に共通する、人間を物的性状としか捉えない理性の肥大を。
…絶対に認めない。科学は抽象的なものだ。科学は、これまた抽象的な諸因子のさまざまな変化を研究するもので、現実的な因果関係を研究するものではない…
ジャン・ポール・サルトル
実在主義とは何か
「実存主義はヒューマニズムである」より
個々人の人生にとって、何が正しい生き方(幸福・価値観・健康の条件)であるかは科学によって一意に決定される。定義される。本邦の科学者や医師達は本気でそう考えているのでは。