もはや火薬庫だ‥性的同意年齢引き上げ問題(現行法13歳、中学生相当)における民間言論空間は、そう形容せずにはいられない程に死屍累々する戦場と化している。言及すると必ず被弾するから念の為お断りしておくと、この問題に対する私の立場は賛成も反対もない。
正確に表現すると、一方当事者の考えがわからないから判断できない。
事理弁識能力や行為能力、刑事責任能力の有無ないし制限の問題はひとまず留保して、有権者かつ当事者には違いない相当年齢の人達はどう考えているのか、詳らかにする必要があるんじゃないか。このとき一番やってはいけない行為が反対意見を侮蔑的レッテルで倫理的に貶めることだが、やはり民間言論にマトモさを期待すること自体無理ゲーなんだろうか。
自己決定権と保護の葛藤‥
これら以前、そもそも当事者を当事者と認めない、単一視点しか持ち合わせない(いわゆる)大人の傲慢さに私は辟易する。きっと世論形成(広義の合意形成)に干与されると困る理由でもあるのだろう。
ところで、実念論者と唯名論者の争いを普遍論争というのだけれど、これ性的同意年齢引き上げ問題と何の関係もないようで、社会の争いは大概ここの解釈違い、スタンス違いから生まれているのではないか?と私は考えている。
普遍論争とは、普遍は現実に存在「するか」「しないか」という実在への問いのことだ。構文上でいうと、複数の述語に適用可能な普通名詞は普遍という事ができる。(いわゆる概念のことです。)
次郎は「子供」である。
三郎は「子供」である。
それぞれの個別性質(太郎・次郎・三郎)を切り捨て余った共通項である物的性状へ「子供」と名付けているだけなのだから、普遍的に妥当するのは当然のことだ。だって普遍妥当するよう、つまり合目的で“論理操作”しているのだから。
逆にすると‥
子供は「太郎」である。これは誤り。あの子供は「太郎」である。これは正しいが、いずれにせよ太郎は単一者であり普遍者でないと分かる。
ここからが大切‥
では、この「子供」は現実に存在するのか。つまり精神活動(subject)としての観念操作・論理操作から独立して存在(object)しているのか?
はたまた「子供」とは観念上のフィクション(虚構の存在)であって、現実に存在しているのは「太郎・次郎・三郎」を組成する基体(個別、個物)だけなのか。
後者を肯定する立場が唯名論
※名は事物を区分する識別記号としての機能を含みますが、名とは何であるか、についての説明は省きます。
あなた達の観念する世界像も恋愛も問答無用で誤りだ。それどころか罪と結びつきうる。倫理や道徳根拠の正しさは証明できないが、そのように(いわゆる)大人が決めるから、自分達の狭い人生経験が投影された規範を国家を通じて一律に押し付けるから、黙って従いなさい。
そう言っているのだが。
恋:特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦躁に駆られる心的状態。
新明解国語辞典
恋の複雑で面倒な両義性を背負いきれるかなんて、何歳だろうと個人の資性次第でしょう。(いわゆる)大人だから自明に事理弁識能力があるわけじゃないよね。
あと一応言及しておくと、普遍って宗教支配のための洗脳技法、レトリックですからね。
過去記事「キモいという言葉」でも書いた通り、道徳や倫理って宗教の戒律から援用しているんですよね。長い歴史的時間を経て社会的に内面化してしまった為にそれすら自覚し難いが、そもそも道徳や倫理の語る前件肯定文を誰も「真」と証明できないハズなのに、その道徳や倫理による価値の整序(つまり明証不能な規範を前提に他者を統御できると結論する、謎の宗教思考)が後を絶たない。宗教思考でないなら感情論。
ここからどうやって実存を回復するか?
・・という
“Human condition”を賭した近現代からの戦いも、結局のところ敗北して終幕か。
(人種:racism)
男性/女性で一括るのは反対
(性別:sexism)
しかし・・・
大人/子供で一括るのは賛成
(年齢:agism)
原理xがyに変更された訳じゃなく、原理xはそのままに、規範AがB又はC、あるいはDへ。
その程度の話だったのだ。
その程度の。
補記
過去記事「キモいという言葉」で自己言及した通り、私は戒に触れる行為をよしとする道には立たないが、それは私の道でしかない。現行法を守ったうえの真摯な交際関係をも一律に不当視しようとする、一方通行の感情的・機械的道徳論を他者へ向ける民主主義がいささか不憫に映る。そこで、本邦における「青少年健全育成条例」は真摯な交際関係とそうでない関係を現在どのように区別し、また司法行政の場では「○交」をどのように解釈運用しているのか?ついて、最高裁判例と警視庁ホームページから確認できる範囲で紹介しておこう。
事件番号:昭和57(あ)621
事件名:福岡県青少年保護育成条例違反
法廷名:最高裁判所大法廷
www.courts.go.jp
警視庁HPアーカイブ
https://archive.is/p0uGi
(2021年現在)
・・最高裁は限定解釈の立場であり、警視庁もこれを踏襲しているようにみえるが。