24-BLOG

雑文集

禁句の存在する国

一言:社会には、使用に謹厳さの求められる言葉もある‥までなら同意ですが。

この世に絶対使ってはならない言葉なんてあるわけない、と思っている。自己規範として宣言する場合や意見表明はともかく普遍規範として又はそう然らしめんと企図し、まるで常識であるかの如く装い特殊倫理を流布するムーブ、最近よくみる。

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言葉自体の使用可否は当人の覚悟と意思、また場面理解から判断される問題では。

①軽率に使う言葉ではない
②使用してはならない禁句

是非の規範作用①と可否の規範作用②はレベル段違いなのに性質の異なる両者が同義的に連結され即時に使用禁止ワード選定問題へすりかわる世相。

たとえばある特定の言葉がある特定人の名誉を毀損したとして裁判になり判決を得たとする。

でもこれって問題とされる当該ワードを問題とされる具体的状況に照らした場合に(限定して)名誉毀損を構成するか否かを判断する審判であって、これら文脈から切り離した言葉それ自体の恒久的評価や使用可否を判断する審判じゃないよね。

(違ったらごめんなさい。)

表現の「自由な空間」とは表現の「制約されない空間」の事であって、特定表現を自由空間から除いた瞬間、そこは(特定表現を空間から除いた)特定思想によって切り取られた特定の場へと成りかわる。

他者によって選別された思想場を他人から提供されて「ここは表現の自由空間です。」といわれても、そう評価する事は形式論理(排中原理:矛盾対立とはその対立それ自身に中間のない対立)的にきつい気が。

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二値原理を否定すれば「最大限の自由」とかいう論理操作も可能だけど、一般社会における自由は始原の自由じゃく自由権にすぎないんだから、いっそ「ココ自由空間もとい秩序空間です。」と開き直ってもらえたほうが、スッキリ感はある。表現の自由を擁護する者としては。

シニカルな物言いになってしまうけど、自由の保障されてる社会、そんなもの本当にあるなら擁護する必要もないわけで。

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