副題:内と外と不浄と清浄
(後ろの正面だぁ〜れ)
「ウンコ味のカレー」と「カレー味のウンコ」究極の選択問題考えてて思い付きました。
「人はウンコが体内にあるとき不浄を感じないのに体外に排出された途端不浄と言い出すのはなぜなのか。」
私はコチラのほうがパスカルの喩えよりも余程死生を哲学できる。もっとハードにすると初期仏教の不浄観に行き着きます。
いわゆる九相図は初期仏教最古の経典スッタニパータにある以下の言葉を九つの場面(脹相・壊相・血塗相・膿爛相・青瘀相・噉相・散相・骨相・焼相)に再構成して描いたもの。
第一 蛇の章 11勝利
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身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。
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身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、
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鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
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またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、
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鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
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またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
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また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。
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犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
【ブッダのことば】
スッタニパータ 中村元訳
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