24-BLOG

雑文集

韓流映画鑑賞

副題:商品と作品

韓国映画「神と共に、罪と罰」を昨晩みました。

齢のせいかアルコールのせいか号泣してしまった。

映画レビュー以上。

(語彙力のなさw)

昔から韓流ドラマや映画はハズレを引かない。

初めてみた韓流ドラマは母親と二人でみた「善徳女王」でこれも面白かった。作中流れる楽曲も素晴らしかった。

不満は日本語吹き替え版(TV放送)のラストに原作破壊を感じた事くらいか。

善徳女王が王位を継ぐ前から彼女に恋心を抱く仲間がいた。なりゆき彼は陣営を離反する事になるのだが彼女への貞操を貫く。

しかし彼は運命に翻弄され王位に継いだ彼女へ謀反を起こしてしまう。

ここから問題のラスト。

反乱軍は正規軍によって鎮圧されてしまうのだが、悲恋のうちに死を迎える刹那、善徳の前で最後の力を振り絞って「その名」を呼ぶシーンがある。
「その名」とは「いみな(実名敬避俗)」のこと。漢字文化圏では古来、真の名を直接口にすることを避けてきた。名は存在支配と結びつくと考えられていたからだ。臣下が主君の本名を口に出すなど到底許されないが、善徳が王位を継ぐ前、彼女と共にした時間のうちは愛するその名を呼べていた。
最後のシーン果てる瞬間、彼は善徳女王の名でなく彼女の「本当の名」をか細く、しかし強い意思を言葉に託し叫んだのだ。

「・・・・!」

日本語字幕だとちゃんと名前で呼んでいる。ハングルの発音でも、日本語字幕でも。それがあろうことか日本語吹き替え版では「陛下、、!」にされちゃってる。もうストーリー台無しだ。


ところでアルコールのせいか、映画鑑賞という用字(記事タイトル)に違和感を覚える自分に気づいてしまった。

芸術作品を鑑賞する、なら用字として理解できる。じゃあ映画って鑑賞する対象なのかと。

殺し屋イチって鑑賞するもの?
呪術廻戦って鑑賞するもの?

鑑賞・・ないない。

それでいうと音楽もそう。

クラシックを鑑賞する、なら用字として理解できるけど、映画でも音楽でも娯楽商品に鑑賞という高尚な行為を向ける事はしないよね。

そう考えていた矢先、鑑賞ならぬ観賞を当てちゃってるweb記事を見つけてしまった。それも鑑賞と観賞の違いを主題とする記事の中で、映画観賞でもよいのだと。

「人間の作り出す作品」へ向ける言葉として観賞は適当でないと思うのだが。

用例としては観賞植物とか。

映画を観る、というような形で「観」の字を使うならギリわかるけど、映画観賞という使いかただと違和感を覚えてしまう。

作品は人の感情や思想が形になったものだから鑑賞。他方、マーケティングで生まれた娯楽商品に大概思想なんてないから鑑賞使用は微妙。とはいえ一応人間の作り出したものには違いないから観賞を当てるのも微妙。

そうすると、テレビを見聞きして楽しむ行為を視聴と呼ぶ程度に映画を見聞きして楽しむ行為は視聴と呼ぶのが相当と思えるけれど。

ということで、視聴で統一しよう。無論思想性の高い、つまり作品については鑑賞を使う。

それでいうとアニメなら「プペル」は視聴、「火垂るの墓」は鑑賞か。

まあ結局すべて好みの問題ですから感覚的には「視聴」も微妙でして・・漢字としても発音としても好きじゃない。

とはいえ「見る」だと概念広すぎるし「観」の常用訓に「み」はないし、そのうえで微妙なニュアンスの違いを考えると、ファイナルアンサーとしては「みる」と平仮名表記しとくのが一番無難な選択に思えてきた。

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