表現傾向として「思う」を多用している自分に最近気づいた。
自分の意見を述べるときは「思う」ではなく「考える」を使えと中学の頃かな?担任から指導された記憶がある。
曰く・・「思う」は主に心情の作用だから、意見を述べる文を「思います。」で結ぶと読み手や聞き手に幼い印象を与えるのだと。漢字のつくりに「心」が入ってるからとか何とか。
「思う」と「考える」の違いをググると大概この担任のような説明がヒットする。
本当かよ。たしかに「問題を考える」と「問題を思う」とでは意味が釣り合わない。
でもこれ当たり前じゃん。
一つの語に複数の字義がある言葉もあるのであって、単に文脈に応じた語の配置に難がある、つまり用字の問題というより文構成の問題なんじゃないの。
上の例なら「問題を思う」でなく「思うに○○は・・」と書けばよいだけでは。
引用元:新漢語林第二版
「思」の第一義は考える、思案をめぐらす、であり論語の用例(子曰、學而不思則罔、思而不學則殆。)からも明らかだ。
解字に至っては
頭脳と心で考える、である。
私の担任をはじめ担任と類似した評価をもっている人は、きっと第一義や原義を重視してないんだろうな。
脳と心で考える、これいい言葉じゃないですか。私は脳と心で考える人間でありたいから、これからも「思う」を積極的に使っていこうと思う。
我思う、故に我あり・・