副題:実践躬行
ウクライナ問題に関心を向けていると、行け行けドンドンの素質を備える人が一定存在すると気づく。彼らから、正義感情に飲まれた次のような発言を見聞きできる。高みから祈るだけか…
見殺しにするのか…
正義はないのか…
結局のところ主張の根っ子を辿れば感情や情念に突き当たる。
これら感情は極めて至当で人として大切な真心だが、国家間関係は得失は考慮せざるをえない関係。そりゃそうでしょ。
政府は日本国民一億の「生」を背負ってるのだから、個人が観念するレベルの正義と同質なワケない。
そして「支援=自衛隊関与」でもないだろう。事実日本政府も西側の立場で一定のコミットメントはしてるでしょ。
この手の人は他人や国家へ具体的に何を求めているのだろう。
まさか自衛隊派遣の世論が起こらない社会へ苛立っているのだろうか。起こるわけないよな。
国際関係一般として、損得抜きで直接の力を提供したいと思うのなら、「同胞の生」犠牲を想定してまで実現したい大切な確信的信念をお持ちなら、国家に期待できない以上、法律と喧嘩してでも個人の立場で義士として現地へ入ればよいのでは。
ウクライナ、外国人部隊編成へ 国外から志願募集この問題、私が個人の立場でやれる事といったら祈る事と寄付行為くらいです。
ロシア軍の侵攻を受けるウクライナのゼレンスキー大統領は27日、海外の志願者で成る「国際」外国人部隊を編成すると表明した。
「これが、あなたがたのわが国への支持の重要な証になる」と述べた。
引用元:ロイター枠内追記
毎日新聞の記事を目にしました。
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ウクライナ「義勇兵」に日本人70人が志願 50人が元自衛官
引用元:毎日新聞
(2022/3/1 19:13配信)
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私のコメント
謹白 義心に殉ずる70人の真心へ深く敬意を表します。ご武運を。頓首再拝
これ以上いえる事はないな。
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※念のため注記
上の言葉は義勇兵参加者に対する支持表明ではありません。
支持=その人の意見・行動などに賛成して後援すること。
(参照元:新明解国語辞典)
人は皆、自分のできる範囲でしか気持ちを示せない。
そうであるから、少なくとも私が「彼ら」の立場なら、自己の信念実現がために他者の犠牲を期待する事はないし、又そうである以上、他人や国家に失望する事もない。
「彼ら」ってゼレンスキー氏の事じゃないですよ。
祈りって神に祈るだけが祈りじゃない。言葉の援護も祈りだ。寄付行為もそう。
行為の効果は微力であっても影響力形成に寄与するでしょ。いがみ合う世界より、拝み合う世界のほうが遥かにマシです。
他人の葛藤を慮る眼差しもなく「祈るだけか」と他人へ嘆く人は、じゃあ御自身なにを???
一個人の信念を大上段から社会正義の仮面で語り、他人の不足や格差をあげつらうだけ?