24-BLOG

雑文集

サイトHOME
記事一覧
管理者へ連絡
個人情報保護指針

前記事への付記

副題:日本の宗教が包摂する内在的欺瞞とこれに目を瞑り異端審問官“然”として振る舞う一部の伝統派たち

【いわゆる○○商法について】
○○には霊感、霊視等 

まず大前提、いかなる名目であれ宗教者が宗教行為の報謝として世俗へ金品を求めること自体、私は抵抗感を覚えます。

仏教視点から述べますが、日本仏教はなぜ糞掃衣を捨てたのか。仏教に紫袈裟がなぜ必要なのか。立派な仏像や寺院、五重塔を建立する必要性は仏典の何処からくるのか。高級車で移動する必然性とは。仏僧がQOLを俗世に見出すのはなぜか。

言い始めるとキリないですから今回は葬儀(死後)戒名について。

戒名は授戒の証であって、本来は修道成就のため生前に仏門へ入った者が師僧より授かるその法の名である。

現世を彷徨う霊魂の無明を照らし『極楽浄土あるいは天国といった安楽世界へ迷わず逝けるよう』死者の救いの道標となるべく死後に授けるものじゃない。

ブルーハーツ(青空)の歌詞でたとえると、戒名は神様に賄賂を渡して入手する「天国へのパスポート」じゃないってこと。

Wikipedia【贖宥状】
贖宥状販売の歴史的経緯より

...そしてルターが何より問題であると考えたのは、贖宥状の販売で宣伝されていた「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」ということであった。本来は罪のゆるしに必要な秘跡の授与や悔い改め無しに、金銭で贖宥状を購入することのみで煉獄の霊魂の償いが軽減される、という考え方をルターは贖宥行為の濫用であると感じた。

(テッツェルのものとしてよく引用される「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」という言葉は、この煉獄の霊魂の贖宥のことを言っている。)...

※最終更新2022年6月1日の記事から引用してます。
このような、仏教圏における没後作僧といわれる風習は日本独自のカルト(呪術信仰・新興宗教)的俗信であって本来の仏教とは何ら関係がない。

というか、仏教には天国も地獄もないし輪廻も涅槃もない。霊魂なんて実在しない。これらはすべて迷信、俗信の類だろう。

社会は日本仏教を正統宗教と信じてやまないようだが、日本仏教のこれら迷信、俗信に基づく世界観はカルトじゃないの?

日本仏教界の独自理解に基づく仏教と関係ないカルト信仰を「救い・供養・寄付・御布施」名目で世間へ言入れた途端、文化だから無問題と(積極的であれ消極的であれ)受容しちゃう。

これほどカルト宗教の内面化された社会で「正しいカルト」と「正しくないカルト」を一体誰が一意に審判するのだろう。

学者だろうか。弁護士だろうか。国家行政だろうか。社会感情だろうか。インフルエンサーだろうか。社会からオーソライズされたカルト宗教(所謂伝統宗教)だろうか。ジャーナリストや記者の類だろうか。

一応、戒名料相場を載せておきます。これ安いですか高いですか、人それぞれですか。


※正確さを保証するものではありません

参照元:小さなお葬式
https://www.osohshiki.jp/column/article/96/

結局のところこの問題、カルトや霊感商法自体の是非論というよりも、社会的オーソリティ論として定義されちゃってる感。

まあ非論理的な社会感情が国を動かす如何にも日本らしい風景ではある。

・墓
・位牌
・仏壇
・戒名
・先祖供養‥


そんなもの必要ありません。

仏教は「商売でない」ので納める金銭の多寡で階梯など生まれませんし、「天国も地獄も霊魂も先祖供養も全部迷信、俗信」ですから心配無用です。どうか安心して往生してください、おみおくりください。

仏教ならばこう言うべきです。

仏教は自分自身の心を問題にします。天国地獄などと妄想する心を問題にします。「逆さ磔になって地獄で苦しむ母親」を妄想してしまう心を問題にします。非実在上の別世界を相手にする理論じゃありません。
 
五重塔建立に寄付を募って何千マン差し出す信徒に向かって「おやめなさい、無功徳です。現世利益など妄想です。

仏教ならばこう言うべきです。

しかしそうは言わないのが日本仏教なのだから、社会がカルト規制を本気で志向するなら日本仏教や神道を例外扱いすべきでない。そうしないのなら、あくまで「違法行為の取締徹底」に力点を置くべきだろう。しかしそうしないってんだからガチの異端審問だよな最早。

いや字義通りの正統宗教が分派した新興組織を非正統として異端視するのはまだ理解可能だけれど、日本の場合はセクトがセクトを規制論に乗っかる形で異端視するっていう倒錯した構図だから本気で理解に苦しむ。

昔なら日蓮聖人の真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊あたりが有名。いわゆる四箇格言。

日本仏教に限定して言うと、大乗が正宗へ立ち戻った自己批判をやらない限り、カルト性の有無を直接根拠とする他所様への「規制文脈」批判は壮大な自己矛盾に繋がるんでは?

染み付いてしまった上掲ツイートのような考えかたを払拭できない限り、言及可能な範囲は「違法行為」非難に限られるんじゃないの。

***

今まで伝統宗教という場合の伝統を「正統」と同義語的に扱ってきたけれど、流石にもうやめよう。カルトを受け継いでゆく営みだって時間を経たら伝統になっちゃうもんな。

前記事はこちら。

© 24-BLOG  Repost is prohibited
Mikata(弁護士保険)契約中