24-BLOG

雑文集

医療という権力vs対立言論の自由

副題:封印ラベル

コロナ問題(所謂コロナの真実)を巡って争論が絶えない。言論である以上、双方存立してよいはずだが、Twitterでは遂にこんな意見を見かけるようになった。


2類5類相当とか法改正するよりも、反科学を刑事罰に問う法改正のほうがずっとずっと人の命を救う。頼むよ政治家の皆さん。』‥ですって。

私は科学の成果を否定する側でないが、科学による統治を否定する者ではある。人の意思は科学の客体/従物でないから。これを反科学と呼ぶならそうなのだろう。

また懐疑や普遍命題への方法論的反証主義の対当は科学が経験科学であるために必要な条件(ポパーの反証可能性の基準※1)であるはずだが、昨今のトレンドは内容に先立つアプリオリな棄却でなかろうか。なおここでいう反証主義は論理的、あるいは経験的反証可能性のみを意味しない。

※1)ポパーの基準への伝統的批判についてはここでは触れない。

提示される内容に間違いが存在したならば、間違いを都度指摘すればよいだけです。反証といえない妄想~検証不能の事実もどきや不正確な推論に基づく過った信念~と判断したならば、無視すればよいだけです。
これは「反科学」などの封印ラベルを貼り付ける形で実行される。科学に限らず懐疑や(普遍命題へ対当可能な)方法論的反証主義の存在しない学問は宗教と変わらない。たとえば近現代史は反証を禁じられている。こちらの封印ラベルは「歴史修正主義」である。

近現代史は宗教なのだろう。


これ言い回しが峻烈ですけれど、実世界認識について、医師の間でさえこうした相違があるんですよね‥じゃあもう一例。


こちらも峻烈な批評ですが、懐疑の大切さ、対立言論の自由の大切さを改めて痛感します。

ところで、仮に彼の医師が宣う因果推論に則るならば、反実仮想として阿波踊りを中止、あるいは適切な対策を講じていたならば、徳島県“のみ”異なる特徴を示したのでしょうか‥そうかもしれませんね、おそらくは。

***2022.10.30追記***



立論の成否にかかわらず対立言論の受容される社会であれ。

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さてさて。

アマゾン届いたんで今から読みます。【「医療という権力」は何を統治しようとしているのか。それに抵抗する術はあるのだろうか。 】フーコー必携の書みたいになってきた。

私にとって事象の真実なんてこの限りどうでもよいのである。

(付け加えると、近現代史の再評価についても関心ない。)

これはそれら理論の正否から独立した問題であって、健全な社会の維持に欠かせぬ対立言論の自由を踏み付けにする医療や科学による授権なき規範創造権力の正統性を問う言論なのだ。

そういえば、コロナ領域で主流な見解に反する主張(彼らが言うところの反科学)を説く書籍はケシカラン、という理由で当該本を取り扱うアマゾンへ抗議かけてた医師いなかったか。

‥私はウイルスよりも戦争よりも、正義を妄想させる人間の理性もどきが一番こわいよ。

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