前記事「価値観闘争の末路と介護の値段」への付記です。
とても気になる投稿がはてなブックマークにありました。
yzkuma:元の女性の発言に問題はあるし、それに対する反論も一人ずつの個人の意見だから止められるものではないけど、その結果として集団で一人の障がい者を寄ってたかって叩くのはヒトらしい営みですね。はてなブックマークに投稿されていた一意見ですが、ある事象から何を前景化するかは論者によって異なるものの、(はてなブックマークに投稿される意見はともかく、)おおよそ元の女性の発言でなく公共放送NHKの多角性を著しく欠く一方的表現手法が問題にされてたような。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2130696
NHKの表現手法を批判するならば、何が(→表現の特定)どのように(→質と量)問題(→影響)なのか言わざるえない。このとき実在するかも不明な背景化された匿名氏へ(結果として)及びうる副次作用へも配慮しなければならないとすると、問題点を描出できない。
その描出は正しくない。
これは正当な批判。
だが影響自体あってはならないとすると、公平なスキームにならない。そもそもそうした影響を避けたいから匿名なのでは。
あと心苦しいのだけれど、一般論、言論において個人に対して保護されるべき内容と程度が顕名と(実在不明かつ背景化された)匿名で同等は流石にないです。
だってさ‥
匿名は「AI」かもしれない。
いえ違います‥
私は「ここにいます。」そうした意思表示が顕名なので。
ただ、一人一人の意見が意図せず結果として「衆なり塊(数値化)なりて暴力作用として誰かと関係」してしまうSNS社会特有の現象について憂いているのであれば、それはその通り。
だからこそせめて、言論はつるんで為るものでないし、顕名(同定可能性)と紐付けるべきである。
‥と思う。