24-BLOG

雑文集

敵味方図式の観念論

一言:8月15日だからこそいう。祖国を安んずる気持ちに卑怯もクズもあるか。

外国人が他国民へこれ👇をいっちゃ御仕舞でしょ。

日本の中でどの勢力にもつかず、中立の立場で発信した方がいいという人もいる。でも、前にも気づいていが、この戦争で特に痛感したことがある 中立だの仲介だのと言い出す奴は、この上ない卑怯でしょうもないクズばかりということ。あんなコウモリ野郎の真似をするのはゴメンだ。俺は正しい側にいる 味方と共に

引用元
https://twitter.com/nippon_ukuraina/status/1690834153619726336

引用元アーカイブ
https://archive.is/eNKat

これは【誤った二分法】といわれる論理誤謬の一つです。


一般論「事象の理非曲直は直観正義どおり」が真ならば、裁判所の判断とか必要ないのでは。

話それますが、最近流行りのユーチューブジャンル「ヴィジランティズム」を無思慮に肯定し熱狂する観衆の声を見聞きすると、もはや正義概念それ自体が胡乱に思えてくる。あれ、(私人逮捕時の有形力の行使は)逃走防止のため必要と判断される合理的程度を超えてないか。許されるの?

そしてそれが反復継続性のある収益化コンテンツとして全世界に堂々動画配信されるって‥あの玩具は漫画と現実の境界を曖昧にさせる洗脳装置だな、などと「それでも僕はやってない」をYouTubeで視聴しながらカキコ。

現行犯を認識する側の推知推認の確かさや被害事実の確かさは考慮されないのね。加害(他人の不法行為)の事実に先行して被害(他人の不法行為)の事実を認めるの論理矛盾だと思うけど、開始24分くらいで登場する検察官、あの取り調べ実話なんだろうか。実話を元にしたフィクションって言葉の範囲がよくわからない。

ともあれあらゆる取り調べは可視化されるべきだ。

https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/recordings.html

モデルの人は二審無罪となったようだが、そこを含めた映画の感想の中に驚愕する内容をみた。

曰く「真実は本人しかわからない」「100%やってないと言い切れない」「やってないことの証明にはならない」などだ。

一旦嫌疑をかけられたら最後、被告人によって無実が証明されない限り無罪であっても疑惑の目を向けられ続けるの、詭弁じみてる。

というのも一般論、↑形式の無実ってどうやって完全証明するんだろうか。

論理上は詭弁でないけれど、現実には証明方法がないので不当な要求だ。

たとえばつぎの全称宣言、カラスはすべて黒である【∀x(Ax→Bx)】は一見検証可能にみえる。

カラスの個体数は有限なのだから、理屈上いつか必ず検証作業は終わる。しかしながら、それが本当に“すべてか”については証明しようもないし、何よりこれらのコストをなぜ否定側(疑われる側)が負うのか。

【∃x(Ax∧¬Bx)】を否定対当させる側がその存在を立証するのが筋なのでは。

ところでこの世に己の無実を証明できる人って存在するのか。俺は過去人前でウンコ漏らした事実は無い。

だが疑う他人に対してそれを証明しようもないから「事実は有る」と主張する側が有ると主張するその事実を提示するのが筋で、提示される根拠に事実というに足る「質と量」が具備されてないならば、もう終わりでよくないか。

私(一人)が見た、とかいわれても、複数名で同時目撃した場合は量が質を補いうるけれど、人間の「見た」は事象の記録じゃなくそう主張する個体の事象認識(記憶/突合/解釈/再認)だし。

それに認識の正しさが量で保証されるならば(地球規模でみるならば)神の実在も肯定できてしまう程度に科学的でないけれど、話が痴漢犯罪に及ぶと科学も論理も官憲(警察/検察)の思考から消えるのはわかった。

「有る」の中身を確認できずとも「事実」がアプリオリに存在できてしまうファンタジー。そしてその(虚構の)事実を前提に無実を証明しろと無限要求。端的にいって思考が倒錯してる。

だってこれ「犯情」解釈以前、そもそもの「事実」の有無の話だからね。

「性犯罪は許されない」に異論ある者など存在しないと信じてるけど、罪名に痴漢罪が存在しないのはそれだけ複雑な行動態様ということなんだろうな。

人間が極度に密集した過密空間では心理的錯覚や認識上の錯誤もつきまとう。


f(x+y)=f(x)+f(y)
f(x)=2x+1

を描出するおり線画を非線形づける因果者は“誰”なんだ?と考える思路をつくれず【2x】が推知できなくなるのは急場の性。

個人的には車列の男女分離しかないと思うけど。

「冤罪は許されない」と「性犯罪は許されない」の関係に価値の先後をつけないでほしい。→警察/検察

閑話休題

裁判所はまさに中立の立場で判断するわけで、露による明白な武力行使を被る“直接”当時者の立場がアプリオリな旗幟鮮明さを呼び込むのは理解できるけれども、そうでない者を敵味方図式へ安直に誘導する二分法は好ましくない。

胡乱な言説の多い私が卑怯者扱いされるのはかまわないし仰るとおりクズ人間ですが、現実として政府の選択いかんで(国の血液たる資源安保含む)日本の安全保障環境は悪化するわけで、他国一方への野放図なフルコミットは日本人の耐えうる不利益その限界線見極め作業を困難にしないか。

これら争点が正義や大義の熱狂にかき消される観念型社会を孫子に残したいとは思わない。

特定国をあげて当該国は日本と価値観を共有するか否か日本に無法をはたらいた過去を有するか否かを煽り立てる言説も敵味方図式へ誘導する観念論です。

たとえば大前提、共和国である米国と立憲君主(天皇)制国家を支持する日本人とでは根本原理を共有していません。

また米国は過去日本へ(前列のない無法の極み)核投下してますし、東京大空襲も民間人を巻き込む大量虐殺です。

戦後史でいうとイラク戦争は侵略戦争。しかし米国の侵略を日本は支持しましたよね。まさか国際秩序のため侵略を支持したわけじゃないでしょ。

この類の指摘を一々敵味方図式(親○反●)へ変換して回るのが本邦イデオローグ勢。

歴史の教訓は根本の価値観を共有できずとも国家交際は成り立つ、です。共和国かつ連邦国である米国やインド。片や立憲君主制国家かつ単一国家である日本。両者の関係は良好です。王后をギロチン処刑した革命国家フランスとも比較的良好です。

それは根本を違えても利害得失から(そうした不都合を捨象しつつ)自国に都合のよい共通項を探してお付き合いしてるからで。

だが捨象されたものの中に大切な価値観もあるわけで、たとえば国内政治で社会主義の排除まではしてないでしょ。資本主義(自由経済)陣営と思えないほど謎に手厚い社会保障制度とか。

このように、民主主義と社会主義は対立概念でないし権威主義の要素にしても日本は核心部で温存してるわけで、外交はこうしたプラグマティズムな多世界重ね合わせの写し鏡でしょう。

こんなふうに‥

記事タイトル
(追記日:2023.09.10)
G-20 Summit clinches New Delhi Declaration

G-7 countries, and dilutes the harsh criticism of Russia contained in last year’s Bali G-20 statement.

引用元:The Hindu
2023年9月9日午後10時17分
閑話休題

日本政府は非中立つまり(表向き)旗幟鮮明なのにそれで満足せず日本の内輪(世論)が侃侃諤諤する一事をもって対立者の人格を億面もなく卑怯なクズ、コウモリ野郎呼ばわりする一外国人のある日本人へ向けたヒステリー、日本社会は言論の自由を採用してますが、ヘイトっぽいのは不快です。

日本政府吏員のみならず、日本国民すべて一人残らず左右一方へならうマスゲーム社会を望んでるのか。あるいは左は駄目だけれど右ならばよいのか。

とはいえ、インフルエンサーからあゝした嘆きがでる程度に世論は健全、機能してるということか。

国、靖らかなれ‥祖国はかろうじて持ちこたえてます。

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