世間をにぎわす「おっぱいお触り事件」、弁護派と非難派のSNS攻防いつまで続くんだ。
曰く「お触りはダメだが被害者にも一定の責任(※1)はある。」
※)語の意味内容は不明です。論者によって異なるのだと思いますが、おそらく因果律の文脈で「責任」を使ってるのかな。
もしくはその責任と随伴する「善悪」のことか。
まさか悪意?悪意でないなら他人を信用しすぎかリアリティをなくしたか‥などの思いが一瞬巡る。
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これらは理想主義からすると気持ち悪い言動だろうけど自然主義の観念形式としては正しい。
だがそうした環境ならば犯罪行為が発生したとて仕方ないとすると法は何のためにあるのかって話。
自然主義に全振りすると、たとえぼ窃盗についても事例によっては防犯意識の欠如とかいえてしまう。じゃあ田舎の婆ちゃんが自宅玄関に鍵かけずに窃盗はいられたら婆ちゃんが悪いのか。
鍵を掛けず玄関を解放したまま場を離れた婆ちゃんの行為が犯意を惹起せしめたのか。
高級装身具を身につける貴方が路傍でスリにあっても自業自得。現金をスられても自業自得だ。
ここは貴方様の家じゃない。
用心を怠る貴方が悪いのだ。
人を信じた貴方の落ち度だ。
法を信じた貴方の落ち度だ。
施錠しろよ?
高級品を身につけるな?
現金もちあるくな?
‥それはそう。
男子敷居を跨げば
七人の敵あり
たとえばSNSでは多くの人が自己防衛のため匿名だろうけど、ネットストーカーに実名宅が直来襲された場合、実名なのが悪いんだ、理性を期待できないジャングルで無防備(個人情報)さらす愚か者の自己責任だ、もいえてしまう。
内輪井戸端でこうした嫌味や本音がでるのはご愛嬌。だがSNSでしょう。耳目二つある俺は理想主義全振り型人間でないし(全振りすると宗教になるから)いってる事はわかるが、このケースでお触り「事情」を庇う人多いと日本は法秩序や自生秩序の機能しない国なのだな‥と諸外国から評価されちゃいそうな気も。
他方、お触り「事実」を庇う人など見たことないのだけれど、「事情の弁識」と「事実の擁護」を区別できず行為を擁護するのか!!とヒステリックに喚き散らした人、マスメディア含め数多存在する。
ウィル・スミス(ビンタ事件)のときも暴力擁護か!!などのヒステリック言説に溢れかえっていたが、これは理性の忘失なので無視するしかない。
雑感
この類のテーマで頻出する「悪い/悪くない」はしょせん観念論なので(件のケースでお触りを仕方がないとは思わないけれど)観念の相克現象それ自体は仕方ないというか、許容せざるをえない。その立場には立たないが、排除しようもない“考えかたの陰陽”というのが現実あるので。
たとえば被害の内容を子供のイジメ被害に置き換えると、↓こちらのTWがわかりやすい。
https://twitter.com/sakuratsukisima/status/1694543537667453403
「おとなしそうに見える。」
これは人格に根差す話で落ち度になりようもないから。
しかし気が弱いからイジメられるのだ‥そう理解する親御さんによる心身鍛錬武道場コースというものが、この世界にはある。社会人向けの護身術教室だってある。
でも被害者には何の落ち度もないんですよ。大人しいのが悪い?体質改善する責任がある?なんてとんでもない話だ。理想を言えば(加害者は無論のこと)およそ他責できるし他責すべきだろう。
学校が悪い(学校の責任)
行政が悪い(行政の責任)
社会が悪い(社会の責任)
傍観者が悪い(傍観者の責任)
なぜ無辜の被害者側が自衛コストを負担せねばならないのか。
‥それはそう。
私の感想としては、双方視点に違いがあり、①理想に全振りする者と②力点を置く問題レイヤーが異なる、つまり理想(目指す人間像、人としてのあるべき姿)を把捉しつつ現実(人の本性、人間の撞着)をどうサバイブするか考える者との二者間闘争にみえる。
このテーマに限らずSNS論争で話が噛み合わないケースって凡そ視点や観点、つまり前提を異にしたまま議論っぽいのを闘わせるからだと思うけど、前提を違えるのだから議論自体不毛な気が。