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雑文集

科学と科学主義は違う

副題:人の心を吸って成長する有機体化社会と有事の心理

次の言説がツイッターでボロくそ叩かれており奇異に感じた。
科学は未来を予言しない。明日も万有引力の法則が有効であることを証明することは誰もできない。

引用元アーカイブ
https://archive.is/uuIBp
この文から間違いと言える内容は見つからないから。科学は未来を予言しないし明日もまた同一に振る舞うと保証するものじゃない。

科学的事実とは客観的経験(観察と実験、理論実証)である。

観察は量の概念を強く含むから、万有引力(F=GMm/r2)は例が悪いけれど、数千年時間あらゆる地域のあらゆる人間が体験したであろう経験則から(自然の)明日の振る舞いを推測できる。

しかしこの論理形式は帰納法だから確かに絶対推論でないし経験の外側が必ずついてまわる。

つまり引用の言説だけを評価するならば話者は何も間違えてないのだが、この理論を処理水批判に援用すると(いや処理水問題だけじゃなく、要は現実に援用すると)途端に陳腐化してしまう。

だってこれあくまで思弁レベルの話でしょう。思考を組み立てるさい通過する思惟空間の立寄り所みたいなもので、現実に適用させたら近現代崩壊するんじゃないの。

崩壊しないとしたら適用が恣意的だということ。そしてその恣意性をイデオロギーというのでは。

そりゃ、あらゆる科学的産物は絶対安全といいきれない。しかし当該「あらゆる」から特定の事象のみを切り取って非難してる‥

ワクチン摂取問題のときは「(個人の価値判断に干渉する)科学主義を振りまわす医療」が吹き荒れてたから有機体化社会に抗う個人主義の観点から割りと同情できたのだけれど、処理水問題で猜疑心を癒やす方法ってあまりない。

懐疑は必要だけど、ALPS処理水を汚染水と変換表現するのって検査機関や政府に対する猜疑であって懐疑とは似て非なるものです。

↓これに類する見識
https://twitter.com/ujizo/status/1695689048294392024

ワクチンは国民へ具体的行動を要請するものだったから冒頭系のロジックは上の文脈において意義づけられた。一般論、インフォームドコンセント(提供する医療の危険性説明と同意)に納得せず同意拒否する患者に向かって非科学だ反科学だと面罵し、剰え100%安全と急に説明を翻す医師がいたらそれ科学主義のマッドsだと思うけど、そうした(スティグマを人質とする)許されざる異常要求を、患者でない一般社会の人々へ執拗に迫った科学信仰の医師や科学者がSNSに数多いる。

たとえば反ワクチンの烙印は社会的拒絶の目印へ機能する。院内患者にだからこそ辛うじて通用する秩序を環境や条件のまったく異なる一般社会へ修正なくそのまま適用できるわけない。こうした勘違い科学者や医師の公言する「机上の正答」と「社会の現実」をアジャストする言葉など(5類移行に文句つける程度に)持ち合わせてないのだマッドサイエンティストだから。

他方、処理水問題に科学はあっても科学主義はないと思う。

https://twitter.com/nishy03/status/1695685934556307772



ALPS(上)とその仕組み(東京電力提供)

画像引用元:サイエンスポータル
記事更新日:2023.08.24
記事タイトル:福島第一原発処理水の海洋放出開始、東電トリチウム以外の核種を除去

追記:前言撤回

記事タイトル
放出は「政府の判断」、繰り返す東電「関係者の理解」社長の考えは

引用元:朝日新聞
近隣国の不当な非難やそれを擁護する野党一部は論外だが国内問題(福島県漁連視点)だと一方の約束履行認識が曖昧なまま処理水放出が先行してるのだから東電には気の毒だけれど火種になるのも已む無い気が‥

科学主義者はこういうの過小評価して●科学レッテルで押し通そうとするから火に油注ぐんだよ。

一般論、停止条件が満たされぬまま他方の法律効果が発生したら、それを理不尽に感じるのは心の道理だろうと思うけれども、なるほど科学主義ならば人間の心なんて非科学、一顧だにしないよね。

科学は偉大だが、科学は人の心を解せない。それができるのは人間だけだ。科学主義は●科学より有害。

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