24-BLOG

雑文集

相対主義と事態の象限から考える事実と真実とマスコミの使命

副題:スターシーカー


相対主義とは

相対化という文字列から想起する言葉の意味内容は、概ね次にみられる用例が一般的では。
確かに。「米国も悪いことをした」(ロシアの侵略の問題を相対化)という主張する方は、きっと車のスピード違反で警察に捕まったときに、「他の車もスピード違反している」(自分の速度違反を相対化)するのでしょうが、殆どの場合、免責理由にはならないはず。

引用元
https://twitter.com/Yuichi_Hosoya/status/1698856471143018589
アーカイブ
https://archive.is/Hgd7F
相対主義嫌いの少なくない本邦だが相対化とはこうして類似する事象を対立または並列させ比論的に理解する操作でないし、粗雑な【どっちもどっち論】でもない。

なお氏のスピード違反喩えに付き合う形で視点を相対化するならば、論点は免責云々でなく「特定国家のみを取締り対象とする警察」の恣意性へ向かう問いかけ【ナゼ?】に対する回答への当否では。

そして問いかけ【ナゼ?】を発する視点主体は車両ドライバーでなく事態の影響を受ける公民だろう。

又この場合の擁護対象は【公平的正義】であるからロシア擁護にも米国憎悪にも当たらない。

※ついでに件の中東情勢を単一視点の視座から引き上げるべく以下アーカイブより参考資料を引用する。


画像引用元:Statista


画像引用元:ikadi.or.id

閑話休題

ここで語句を整理する。典拠は国語辞典でかまわない。新明解国語辞典によると、相対とは【他と関連させてみて初めてそのものの存在が考えられること 】である。

たとえば犯罪評価から相対視点を排除してしまうと量刑概念は入り込む余地をなくすだろうし、正当防衛概念も存在できないのでは。

他人を傷つけた【事情へ】視点を運ぶ必要がない。

視点を展開する視座を排除するならば他人を傷つけた事実のみ絶対評価して暴行犯と扱うだけであろう。



※まともな人間は量刑概念や正当防衛概念をYesBut論法(あるいは【どっちもどっち論】)などと揶揄しないし、違法行為の容認(あるいは暴行容認)ともいわない。

最近はやりの絶対悪を存在命題視点で肯定できるとすると、因果律を破り【他】との関連(因数や作用や影響等)から独立して起こる絶対事象を肯定することになる。

【ma[m/s²]=F】からも分かるように、Fは何物にも因らず独立して成立する?んな自然法則と相容れない事象が存在するわけない。

絶対の措定は誤謬を含意するので相対主義否定は端的に間違い。

【他との関連】をべつの言葉で言い換えると、系でも界でも門でもなんでもよいが、これら無数に存在する各界を一意に秩序づける解法など存在できるわけない。

こうした現実理解の視点を「理念やイデオロギー」で限局しない態度を単に相対主義というだけである。

※オーソドックスな相対主義
理念やイデオロギーでそうした現実理解の視点を限局すると下引用のような異様世界が出現します。

🧒{ぼくのかんがえたりそうせかい

記事タイトル
「生活できない」埼玉県の“子供留守番禁止条例案”に批判相次ぐ

引用元:毎日新聞
2023/10/7 20:38

視点の座上

象限という言葉がある。

小学館デジタル大辞泉によると、象限とは【座標平面が直交座標軸によって分けられる四つの部分の一つ一】である。

つまりこうなる。

Ⅰ(x+,y+)
Ⅱ(x−,y+)
Ⅲ(x−,y−)
Ⅳ(x+,y−)

Xを政治、Yを道徳と考えると、政治的にも道徳的にも正しい戦争なんてあるのか。

たとえば米国による核投下は米国政治としても米国人の道徳としても正しい判断であったのだろう。

がしかし、市井の日本人視点からすると政治上も道徳上も許容の限度を超えてると思う。‥市井?

果たして本当にそうか。
日本の中にも戦争終結のため仕方なかった派がいる。

なんだか四象限では把握できないから直交座標へ新軸を追加する。

そして新軸Zへ倫理の名を与える。内包を次のように定義する。

(x)政治=功利的利害得失
(y)道徳=自己準拠的な善悪
(z)倫理=yを他者へ要求する是非


画像を見て正しい認識、つまり真実は【5】である‥そう直観した人はオブジェクトへ数を当てはめただけです。そしてその認識形式のアプリオリを信じているだけである。

私の拙い歴史認識を開陳すると、核投下は政治上も道徳上も許容限界を超える蛮行である。しかし、たとえば天皇陛下のお立場では核投下さえも「戦争ですから‥」とコメントせざるを得なかったし、日本軍に侵略されたフィリピン人の当時視点ならば核の光に「解放の未来」をみたかもしれない。

一般に歴史修正主義は忌避されるが、一意の歴史認識など原理的に存在できるわけがない。

認識とは即ちバイアスである。

上画像を見てオブジェクトの正しい認識、つまり真実は【5】である‥そう直観するそのアプリオリがバイアス(思い込み)です。

しかしそのうえで、私はオブジェクトを数字の5と扱う。あれの正体(真実)は定まらぬが、数字として扱うことに妥当性があるからそう決める丶丶丶あれの事実は2¡5!∋x

そして次の性質【5=51】はそうした決め事に関連する存在でしかない。絶対かつ一意に定まる真実なんてドコを探してもありません。なぜなら真実とは事実の集合つまり相互の関連から「特定の見方」を切り取る操作であるから。

歴史とは出来事の客観的記録、要は史乗であって、それ以上でも以下でもない。

史乗はありのままの記録であるから書き手の視点や価値観で「事実」を解釈した文章を歴史とはいわない。

この様な叙事体による記録形式を【叙事文】とよぶ。

たとえばある行為が虐殺であるとか侵略であるとか、それは評価者の解釈であって歴史“自体”ではない。

書き手の視点や価値観で「事実」を解釈した文章は歴史でなく物語、つまりは所記(シニフィエ,signified)である。この社会に歴史などそうそう存在しないよ。

あるのは物語。

歴史“自体”に一意の真実などありはしない。叙事体で記述されぬ歴史を僭称する所記にあるのは【事実を認識する評価者の視点】が紡ぐ多様な解釈だけである。

そこから分かるのは他人の視点と解釈の相場だけだ。そしてその相場が教育の名で啓蒙されるのである。

視点供給はマスコミの使命

戦争に巻き込まれる未来が近づいてる。その過程で視点を塞ぐ言説が横行し、同一判断を共有せざるを得ない場面が不可避的にやってくるだろう。物語を共有せよと。

視点を塞ぐ者の特徴は第一に相対化の拒絶である。第二に敵国の利用である。たとえば次に類いする言説聞いた事ありませんか。

和平や講和を訴える者は‥
・相手国と通じてる
・相手国の工作員だ
・プロパガンダの影響だ
・親◯反◯だ
・◯◯擁護だ

一例をアベプラから紹介します。
【台湾有事】2027年までに決断?ウクライナ侵攻を学習?日本も巻き込まれる?中国&習近平主席の野望は?元陸上幕僚長に聞く
質問に答える形で岩田元陸将が話されています。私自身は重武装中立派ですから氏の発言中、同意できる箇所は意想外おおいです。

けれどもURL(907秒指定)から始まる論点については不同意です。

マスコミが岩田陸将の論調へ流れると戦前戦中の言論空間が日本へ出現します。ただフェアに言っておくと、私視点は不同意ですが軍人視点ならば正しいのだと思う。

ともあれマスコミは頑張ってほしい。私はマスコミ不要論やマスゴミなどと揶揄する不当評価に与しない。当たり前だが新聞記事の質はネット言説の凡百に優る。

御国のため祖国日本のため最後まで多様な視点供給に拘り抜いてほしい。そう心から願う。

おのがものがたりを
国民が決められる丶丶丶丶丶ように

星々の座へとばりを下ろすうごめきから皎潔な煌きを守り給え。

たとえ中傷の弾幕を浴びようと、使命とはそうしたものだろう。

追記:倒錯極まる社会現象

これも私個人の視点ですけれど、台湾防衛の優先度は祖国日本にとって拉致被害者奪還よりも高く価値のあるものなんですかね?

拉致被害者の奪還こそ直ちに取り組むべき問題でしょう。当時から喫緊の問題であり続けたのに政治家はなぜ自衛隊出動の声をあげず救出に動かないのですか。

拉致問題解決取り組みを装う政治家は数多いる。制裁強化の四文字を声に出すだけ。装うのは簡単。

靖国参拝と同根のポーズです。
頑固なまでに助けに行かない。
何がなんでも助けに行かない。

日本国、他国に拉致され助けを待つ自国民救出の為には自衛隊動かさないけど、他国民防衛のためならば沖縄県民の犠牲を許容してでもホイホイ部隊動かすんですよ。

ウ露問題や台湾問題、最近だと中東問題について勇ましい正論を見聞きするほどに悄然としてしまう理由の一つがこのあたり。

筋が通らない。順序が違う。
こんな悲劇ってあるか、と。

© 24-BLOG Repost is prohibited
I'm in a contract with Mikata 弁護士保険