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知の種姓とルサンチマン

自分の狭い経験上、古典好きのインテリ率高め。古典は知恵やヒントの宝庫だから気持ちわかるし安易に西洋かぶれしないのも好感もてる。

ただ東洋の故事成句は今で言う「切り取り」要素を含むので、インテリなら引用前に出典とされる典籍にあたって文の前後を念為確認してから、つまり文脈を確認してからお披露目するのが無難じゃないか。

なぜそう思ったかと言うと、ある「恒産無き者は‥」の使いかたに違和感を覚えたから。

【恒産無き者は恒心無し】
孟子「梁恵王篇上」

王曰‥
吾惛 不能進於是矣
願夫子輔吾志 明以教我
我雖不敏 請嘗試之

孟子曰‥
無恒産而有恒心者 惟士爲能
若民 則無恒産 因無恒心
苟無恒心 放辟邪侈

漢字辞典を引くとこうある。
恒産:一定の生業、財産、収入
恒心:一定不変の道徳心

新明解国語辞典だとこう。
恒心:金銭欲に迷ったりなどしてよからぬ事などを考えることの無い、きれいな心。

王への返答前段で、恒産なくしても恒心ある者(者:事柄、事物)は、“惟”(ただ、限定)士(学識徳行のある知識人)為(なす)能(できる)と言ったうえで、若(ごとき)民は‥で繋ぎ、恒産がないと放辟邪侈になりますよ、と言ってる文章。

儒学系の漢籍は統治者目線で述べる帝王学なので国民を下に見る上下の観念が色濃い世界。

政治に向かう思想としてなら必ずしも間違ってないんだが、現代社会は「統治者と被治者の自同性」原理がマストだから孟子から故事を引用して政治発言するインテリに葛藤を覚える。

まるで職業には貴賤があり、まるで貴賤による収入の多寡が遵法心や道徳心、きれいな心を作るんだと言わんばかりで。

まあ原文確認したところでその通り(惟士爲能)じゃないかと確信されて終わる気もする。

実際、国民のことを「民」と呼ぶ国際政治学者(TVタレント)の先生もいましたよね。

清貧がよいとも夢思わないし間違っちゃいないのだけれど、違和感を拭えず鬱屈したルサンチマンが募る。

私が若民だからか。
そう。私は若民だ。

断じて“エスタブリッシュメント”じゃないんだ。

これは偏見を自覚して言うのだが、知の出所が東洋・西洋と異なるだけで、「若民」に対する善導義務のようなものを謎に取り込んじゃってるインテリ自体は少なくないんじゃないか。

民主主義といったところで「インテリ(知識階級)民主主義」が限界なんだよな。独裁主義的専断は嫌うくせにインテリによる寡頭的・権威主義的裁断は好んでする。インテリはあくまで意思決定アドバイザリーであって、「ポピュリズム(若民)」にこそ民主主義の本願があるんだと思ってたけど、まぁ‥

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