昔みた映画【プライド】のエンドロールに使われていたタゴールの詩の一節はとても印象深く、今も私の記憶に残っている。これは大東亜戦争を裁く東京裁判を描いた作品で名作。まあイデオロギーの強い人は唾棄するかも知れません。(永遠の零に文句つける系。)
俺は映画館で永遠の零みて涙を抑えられなかったが、あれを戦争賛美と解釈する人もいますからね。
なお、大東亜戦争の呼称もイデオロギーじゃないか、といわれかねないので念のため補足すると、歴史の事実として日本の戦争呼称は大東亜戦争です。何が適切か?を云々するその作為に一々付き合ってられない。
事実は一つ。
事実以外の呼称使用は使用する人の作為です。
ただそのうえであえてイデオロギーを入れてみると、事実から目を逸らすことで祖国の戦争を客体化させてるのならば、そんな卑怯はごめんです。あの戦争を否定評価するにせよ、大東亜戦争として語らななければ意味がないと思う。
閑話休題
当時、詩を読んだ瞬間デジャブのような電流が走ったのだが、デジャブの理由はさておき、朧ですけど大体こんな感じの内容でした。
私は若いころ叡智を求め見物を広げるべく世界中を旅した
(今風にいうとワンピースの大冒険のような描写)
だがあるとき気づく
(旅を終えた私がふと家の庭先に生い茂る草木へ目をやると)
(なんということか…!)
草木の朝露が全世界を写し取っていたのだと

‥で、仏教でも似た言葉を遺した人がいるわけです。(今風にいうとワンピースの大冒険のような描写)
だがあるとき気づく
(旅を終えた私がふと家の庭先に生い茂る草木へ目をやると)
(なんということか…!)
草木の朝露が全世界を写し取っていたのだと


人の悟りをうる
水につきのやどるがごとし
月ぬれず
水やぶれず
ひろくおほきなる光にてあれど
尺寸の水にやどる
全月も弥天も
草の露にもやどり
一滴の水にもやどる
【現成公案】道元禅師
タゴールも道元禅師も東洋思想、東洋哲学。両者違えど源流を同じくする以上、そりゃそうだなと。
タゴールに影響を与えたとされるバウル(風の歌人)の生きかたは、現代日本仏教よりも仏教らしい。
こうした交錯、みてると嬉しくなる。やはり私は東洋が好きだ。
なんだか映画プライドを見返したくなった。YouTubeにあったな‥