この続きです。
ある人が、処理水問題は「科学vs非科学」の闘いだ、といってました。
私の認識では、この対立図式に当てはめるのが科学主義であり、科学主義から「非科学の価値」を擁護する意味が、この構図に隠れているのだと思います。
科学を扱う人間の思想が科学に意味と価値を与えるのであって、科学的事実はいかなる判断も内包しない。
科学自身が自律的に科学の意味と価値を判断可能であるならば、社会に人間が存在する意義などない。
科学の成果を認めたうえで非科学の価値を等閑視しない態度と科学の成果それ自体を否定するタイプの「非科学/反科学」とを同じ文脈にのせる乱暴を私はいたしません。(後者は論外なので。近隣国で顕著な非難ですが、日本国は汚染水の海洋放出などしてませんね。)
理論と論理で社会を設計したところで中身は人間なのだから、社会の正解は非科学領域(人間性とか心の価値とか)抜きに擁護できない。実際、科学一辺倒が多くの人を誤解させてるでしょ。
科学や数学が導けるのは正答まで。1+1の正しい答えは【2】ですけれど、これはそれ以上何かを主張する記述じゃないでしょ。科学主義者はこれがわからない。

福島県で記者からの質問にお答えしました。①ALPS処理水について「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」との「福島県漁協との約束」に関し質問頂きました。
私からの回答の主旨は次の通りです。
ALPS処理水の海洋放出について、風評影響やなりわい継続に対する不安に対応すべく、たとえ何十年の長期に渡ろうとも、政府として全責任を持って取り組んでいきます。
こうした中で、漁業者から反対の立場は変わらないが、漁業者と国・東電は廃炉に向けて同じ方向に進んでいる、現時点で約束は果たされていないが、破られてはいない等の声をいただきました。
漁業者の皆様との間で認識に齟齬は無いものと考えています。
※マーカー筆者
引用元
https://twitter.com/nishy03/status/1693957755403653365
引用元アーカイブ
https://archive.is/RhZia
「現時点で約束は果たされていないが、破られてはいない。」
↓↓↓
【全漁連も福島県漁連も「約束は破られていない」と言ってくれています。」】
https://twitter.com/nishy03/status/1696793613299236891
‥この政治変換よくわからない。
(嫌味じゃないです。)
まず理解の要件定義不明。関係者の理解とは放出「反対派国民の理解」を指してるのかもしれない。
が(接助:前件/後件対比接続)
破られてはいない(二重否定)
つまり漁業者は【¬P∧¬(¬P)】を訴えており苦しい胸中が伝わる文章であることはわかる。
ただそのうえで、科学の成果それ自体を否定できい以上、(心配する人は尽きないけれど、)日本政府も漁業者もああするより他やりようないんだろうな、と思う。
なので私のお気持ちは日本政府にじゃなく科学主義に向いてるだけで、せめて葛藤くらい感じさせてほしいんだよ、という。
(科学的に正しければ)他者の心を一顧だにしない科学主義がむしろ日本政府の足を引っ張るような。
こうしたdelicate matterを解きほぐそうと関係者各位腐心して漁業を守っているのだから、対立を激化させる罵声とかいらない。
記事タイトル
福島 いわき 処理水放出後 卸売市場の取り引き価格に変化なし
引用元:NHK
追記
こうした視点の差し込みは事態をいたずらに複雑化させるだけだ、「それは文系の役割にあらず、」とした見解を披瀝するSNS哲学者をみるけれど、現代社会は非科学の語をスティグマのように使うから、非科学と謗られる事をおそれてるのかも‥文系はそれでよいのか?
https://twitter.com/miyadai/status/1697656575521923337
こうしたトリチウム生体濃縮説を唱える宮台真司氏に類する言説を指して「それは文系の役割じゃない、」というならそれはそう。
これは懐疑じゃなくて科学への猜疑。科学へ猜疑の目を向ける事が文系や哲学の役割というなら絶対違う。
だって機械人形じゃん、それ‥