副題:狂騒する仮面の蛮族が逆行させる時代精神
私は近現代諸原理(とりわけ公平的正義、フェアネス)の枠組を擁護し堅持する。
※この手の話をすると「松本擁護」とか「被害者バッシング」とかぬかすド阿呆が実名匿名問わず必ず湧くので念のため附記。
魔女裁判アルゴリズム
これは結論(お前は魔女である)へ導くための有名な魔女裁判アルゴリズム(手順・理路)で全ての反路を魔女へ繋げる詭弁術である。
“どう振る舞っても魔女確定”
大昔ならいざしらず、これに酷似する言説飛び交う令和のツイッターはいつも通り野蛮だった。
魔女狩りの発生時期は中世末期から主に近世なのだがどうしても人情として近世とは書けず中世と書いてしまいがち。近世近代の先後もよく間違える。なのでそうした区分はもうやめて【大昔】で表記を統一します。Xもツイッターで統一。
https://twitter.com/matsu_bouzu/status/1744305176968892880より引用※指摘のポストは割愛
記事タイトル
松本人志さんのポストに、実業家・辻愛沙子さん「性被害に苦しむ方々を二次被害で追い込むな」「笑えないよもう。。。」
引用:シェアニュースジャパン
被害者≠被害(申告)者
一般論、何人も疑いをかけられた段階では直ちに加害者でないし、被害を訴える者は当該当事者関係において直ちに被害者ではない。加害を疑われた側は主張内容に対する抗弁等防御権が認められるはずなのに、それ自体を【二次加害で被害者を傷付ける醜行】であるかのようにもの語り、嫌疑側の「事実を明らかにする努力(‥たとえばLINE画像公開)」を掣肘する言説や誹謗が後を絶たない。
辻さんはセカンドレイプという言葉こそ用いてないが、インターネット世論(とりわけツイッタ)は魔女裁判と同様ひとたび告発されたら最後、対象個人を有罪とみなし反証を【加害者の路】へ繋げてしまうアルゴリズムなのだ。
立場の反転
魔女裁判に加担するツイッタ民って、ある日突然「◯年前あなたに乱暴されたんですけど‥」と他人から被害告発されたら性別や職業関係なく防御放棄して唯唯と相手の主張を受け入れるんだろうか。村人b:私も見ました!!
村人c:私も見ました!!!
貴方:証言はれっきとした証拠
貴方:証言は自明に真実である
(招宴の覚えはあれど)
狼藉の記憶など存在しない。
しかし私は抗弁を全て放棄する。だって皆が【証言】してるし反証は相手に対する二次加害に等しい醜行、セカンドレイプだから。
そういってみずから黙り自分の記憶に存在しない落花狼藉について即謝罪・賠償に応じ警察へ出頭するのかね。それとも自分のときは「あれら証言に覚えはありません。」と弁護士の先生に泣き入れて反証を試みるのだろうか。
どうせ大多数は後者だろうけど、この魔女裁判スキームにハメられてしまうと反証不能となり嫌疑側が(国家対個人の前に)社会対個人の関係で過度な社会制裁を被る形に陥ってしまいあまりに不条理。
言論の目的と節度
ある言論が社会的制裁として作用したとしても、そうした現象は言論の副次効果として不可避だからそれ自体は如何ともし難いのだけれど、現代社会はインターネットが高度に発達してる分それら作用が齎すコラテラルダメージの質と量は旧社会と比べ桁違い。この話題に限らずツイッタ民ってなぜか自分や周縁(家族、友人)を聖域に置くけれど、皆さん自分達が嫌疑側になった場合に社会から犯罪者然と扱われそうした不利益を受けても悔しくないのか。
【言論の自由大事】はいうに及ばず。でも今は中〜近世じゃないんだから【社会的要請】として一方の防御権は守られなければならず防御自体を道徳的非難の対象として掣肘する言論がまかり通ると近現代的価値観の土台を傷付けかねない。そして誅罰感情が先行して制裁目的の一方的非難を(加害者と決まってない)本人及び関連企業へ加えてるのだとしたら、それは意見論評の作用とか効果を逸脱する生活妨害・業務妨害では。
私の所感
他方でアンチは粘着非難を続けると思うけれども野次馬は自己責任で各々追求するなり非難するなり好きに行動したらよい。
ただ、あゝした非難のありかた(反証を二次加害へ接続)は流石に不条理で看過できない。
【魔女裁判アルゴリズム】
これは今後の文春報道の内容やスキャンダルの白黒顛末、諸々の悪感情と関係なく当事者紛争から独立して論じられるべき問題。
芸能人の醜聞なんて情報価値としては便所の落書きといわれた旧2ちゃんねる以下だが証明責任(ある事実の在否の証明がつかないとき当事者の一方が受ける不利益判断の危険負担)や無罪推定概念を被疑者あるいは被告人でない(捜査対象でなく起訴もされてない)からといって無視する野蛮人が増えると日本は実質人民裁判による私刑リンチ社会になる。
無罪推定は関係ない?疑わしきは嫌疑側の不利益?加害の事実は明らかでないが(無罪推定原則は直接適用されないら)加害者として扱って構わないのだとする倫理観、野蛮時代への逆行では。
憲法31条を通して「何人も法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない」と国へ無罪推定を命令する国民自身が我先にと人権ある個人を有罪断定して集団誹謗する構図は醜悪。
一般論、証明したい現象や法則の存在命題を論理実証あるいは実証実験の成否によらず【真】と扱えるのか。論理的・経験科学的要請として【真】と扱えないのでは。
理屈だけなら単なる想像。
つまり【無】の推定ってそもそも法律論に前置する自明の理では。
白黒真偽は結果であるべきで
入口は双方に公平であるべきだ
大衆(中近世)vs理性(現代)
なんでツイッタ民って一方的なのだろう。当事者いずれにも立たず沈黙する理性的な人を見習って現段階では『わからない』ものは『わからない』として状況の推移を見守ってりゃよいのになぜ真偽不確かな段階であそこまで惨烈な非難を加え続けられるのかね。(事の真偽から離れて)他人を集団リンチする列に加われる仮面の蛮族の巣窟、専ら大衆動員をつくる暴力装置に機能するtwitter‥
実名の蛮族もいますがね。
ところで彼ら同じ口でカルト宗教を非難するんだが、仮面の蛮族が繰り出す大衆暴力と比べると、カルト宗教のほうが無害な気する。カルト宗教は理性で抗えるがこうした大衆感情は理性を浸蝕するから一定の距離を置く言論こそ傾聴したいんだが火中の栗を拾う骨のある言論人はいない。
魔女裁判アルゴリズムから理性の台座を守護せんでもよいのかね。
念のため補記
本文は斯々然々だから口出しちゃ駄目とかは言ってません。言論の自由は大切な社会の宝ですから事前規制など論外ですが、そうしたものの限界と射程について念頭に置く必要はあるのだと思います。加害事実の明らかでない者を犯罪者然と扱うのは【深度】の話。この場合に当事者が受ける不利益を言論の自由は正当化するのか。
反証を二次加害へ接続するのは【射程】の話。この場合の二次加害理論は当該事案に限定されるのか一般化させてるのか。
推定有罪ならぬ『みなし有罪』は論外だが、ツイッタ民、『事実ならば』と仮定話法を免罪符に用いればどんな非難も許されるとか考えてそうだから、やはり日本にも懲罰的損害賠償概念を取り入れたほうがよい気するな。
01.10追記:アベプラ動画
youtu.be疑わしきは証言者の利益?
田中萌さんはさすが一流のコメントだが、他二人の女性コメンテーターによる一方にフルコミットしたadvocacy、これが『みなし有罪』の作り出す言語空間である。つまり【黒】の推定でさえない
すでに【黒】が確定された枠組
これを公開の欠席裁判でやるとは。松本さんのLINE画像公開を直ちに性交渉の肯定へ繋げる佐々木さんも大概にしてほしい。
LINEから直接推定可能な事態の有無は招宴自体の有無で内容には及ばない。なるほど宴それ自体はあったのだろうけれど、松本さんは事実無根の対象を特定してないから論理上に矛盾点はない。
文面の真意(心裡留保)と読み手の解釈については語用論の難問で直接推定などできない。
ところで一般論、特別な事情が存在しない限り意思表示は禁反言を担保に効果を発生させるのでは。禁反言原則のない者とは同意形成を観念できないからだ。
特別な事情が【存在した事実】の証明責任はそれを主張する側にある思うけど違うのか。
しかしこの「かもしれない」ですらそうした業界に対する嫌悪感が作り出す負のイメージから演繹される当て推量であり私の偏見なんだがネット言論はこうした憶測ですらない加害の断定でしょう。
距離感覚の欠如
最近気づいたんだけど、彼ら距離感が存在しないのかなと。たとえば自分の家族が被害を訴えてきた場合に家族の証言を無前提・無条件で信じるのは当たり前だ。大多数は一々真偽がどうのと家族を疑わないと思う。誰しも一方的に気持ちを同じくするだろう。
友人でもそう。力になりたい。
Q:では貴方が上司で部下からの申告だったら?
目隠しをする正義の女神
先輩と後輩の関係でもよいが、一方的に他方を処分する上司、糾弾する先輩なんて存在するの?
真面な社会性(親密圏と公共圏の分別)がある上司ならば一旦判断を留保しつつ事情聴取するよな。
一方アベプラ女性コメンテーターは当事者一方のadvocacyに終始していたため(個人ブログとか公共言論でない私的言論の場ならともかく)報道番組のような公共言論の場で立場の対立するセンシティブテーマについて見解を披瀝するにはコメンテーターとして不適格。
あれがまかり通るならば松本さん側のadvocacyを用意しておかないと不公平でしょう。
その意味でも司会は平石さんでないと無理よ。今の男性司会者に大きなテーマを扱う力量はない。
01.12追記:始まる法干渉
記事タイトル私人逮捕系ユーチューバー応援団の主張にあった「活動に賛同しない者は犯罪者予備軍である。」や松本人志事件における二次加害理論(セカンドレイプ理論)に顕著だが、ネット言論は無軌道な大衆暴力と意見論評の違いを分別できない。
ネット上の誹謗中傷は迅速削除、SNS大手に義務付けへ…法改正で削除基準の透明化も
引用:読売新聞
2024/01/12 05:00
これ萎縮効果が強く働くと実質事前抑制へ作用し言論側に薄氷を踏ませるから言論の自由との兼ね合いで思想的には論点アリアリだけど、そうはいっても(正義を騙る)ネット言論の大衆暴力に個人レベルで対抗する手立てはない。また救済する仕組みも弱いから、こうした事後的救済手段を法が用意するのは仕方ない、、
そう諦観せざるを得ないフェーズに突入してしまったのだろう。
だって一人の(人権ある)人間を、加害の事実が明らかでないのに「無罪推定は直接適用されない」からと加害者扱いして集団誹謗しちゃえる未文化社会だもの。
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