24-BLOG

マBOYの六畳間

唯心論や素朴実在論な世界観と週刊誌報道が映す世の相似性と危険性

副題:共通言語の大切さ

あくまで一般論ですけれど、世の中、本心と外部表示された意思が完全一致してないケースはままあると思う。

事後よくよく考えたらやはり短慮だったな、過去に遡り当該意思表示を『なかったこと』にしたい‥そう考えてしまうケース。

けれども社会の大前提、そんな無茶苦茶が野放図にまかり通ると【約束】という行為の成立を観念できなくなってしまう。自分との約束を信じて応じた者に対して自分の言葉を事後に翻さない。翻してはいけない。

これが大原則【禁反言】なのでは。
あの時のあれ、実は本意じゃなかった、と【あの時のあれ】を後日指摘されても‥

だが原則の持つ効力は原則を破る【例外事態】へ及ばない。たとえば事理弁識能力の劣る子供がした行為とか、精神に障害のある者がした行為とか。あるいは意思表示を外部の作為で歪められた場合、詐欺とか脅されたケースですね。あるいは事中であっても履行を継続させられぬ事情変更が生じた場合とか。

たとえば権力勾配を利用した不利益の示唆も意思形成に歪みをつくるから強迫概念の周延へ包含されるはずで、こうした場合であっても表示の効力へ『遡及干渉してはならない』とすればあまりに不条理である。

ただ思うに、日本は真実を巡り二つの思考スキームが衝突する社会なんだなと感じる。

一つは「たとえ過去の出来事であっても人の心がそう感じたならば直ちにそして自明に【証明抜きで例外事態】になるんだ。この世界は過去へ遡って人の感覚が映じたままに実在しており人の心がすべて決定する。」と考えるスキーム。

02.10枠内追記こういうやつです。

文藝春秋2024年3月号(大見出し:松本人志は裸の王様だったのか。渦中の大物芸人を知る二人がトラブルの核心に迫る/中見出し:性行為の意味は「後から変わる」219頁)より引用

〜引用開始〜

三浦:彼女にしてくれると思ったら一夜限りで、後から嫌な感情に襲われた女性もいると思うんですよ。

鈴木:そもそも性行為自体、一対一であっても、後から意味が変わるものです。

〜引用終了〜

意味が変わることと、それを権利侵害あるいは道義上の責任として他者に主張可能かの区別は為されないと秩序がグチャる。
一つは「仮にそうした【例外事態】が存在したならば、そうした覆滅事由は(大衆の同情でなくて)客観的な評価尺度や方法によって存在証明されなければならない。」と考えるスキーム。

これを第三者視点に直すと次のようにも言える。

証明されない限りそれは【有効に成立したものと推定】されると。たとえば貴方の衣服や装飾具は窃盗品ですか?持ち家は不法占拠ですか?まさか誰かが言挙げした瞬間、(あくまでたとえですが)物権の法的性質が変化すると考えちゃいます?

(週刊誌のいう客観報道とは一体‥)

なお、前者①の認識は客観的尺度や方法に依存しないため以下を無自覚に含意しやすい。

貴方は悪魔である
悪魔でないならば潔白を証せ
(但し黒確定なのですべて言いわけ扱い)
さもなくば謝罪せよ

一見すると、後者②は理屈であり血の通わぬ態度にみえる。人間は理屈じゃない。証明証明と正直うざい。一般論、証明できない状況だってあるよね。なにより人の気持ちは顧慮されるべき大切な判断要素だろう。

だが「その要素」は相手側にもあるんだし、人かくあるべしみたいな人間論的対応を要求するなら(証明問題を一旦脇に置くとしても)まず冷静になってみては。

***

なお念為断ると、私は唯心論も素朴実在論もロマンチックで嫌いじゃない。

私は言霊の世界観とか好き。
神様だって【ある世界】には存在します。
ただ、それらを【べつの世界】へ貫流させたならば調整を受けても仕方ないでしょ。

そうした重なり合う世界‥多世界をブリッジする学問つまり【世界を背負う役割】を数学や科学は受け持つから、方法論にそうした客観面を記述する視点が入るのは不可避。この意味で神様は実在しない、が私の立場。

実在する、そう言挙げた瞬間いつなんどき科学の洗礼を受けても仕方ない。これは仕方ないんだが、なぜわからないんだろ。

この【わからず屋】のべつの呼び名が【悪い意味での】宗教ですよ。

週刊誌ならば正しいの行き着く先

証言は自明に真実であり【主観評価が複数集まれば客観的だろ】系の空気に流れた週刊誌記事(伝聞二次情報)読み手が言論空間で増幅させる共鳴共振現象の行き着く先って関東大震災時の悲惨な事件じゃないか。

貴方は悪魔である
悪魔でないならば潔白を証せ
(但し黒確定なのですべて言いわけ扱い)
さもなくば‥

審判者として振る舞う糾弾者

最後にこのスキームが抱える根本問題を書いて終わります。それは【糾弾者と審判者】の一体性が顕著である点。

【糾弾者】の立場と
【審判者】の立場は
分離されなければならない。

これも原理原則の一つである。

人権の対立する場面でフェアネスを放棄できちゃう者の言葉に公共性なんてあるかよ。大衆の語る正義なんて(自分らが見聞きした内容へ抱いた素朴な嫌悪感や怒りを発散すべく行う)公憤の形をとる私憤じゃんか。

ところで週刊誌記事は読み手視点だと伝聞なのに、大衆は伝聞を根拠によくいうよな‥と思う。あと疑問なんだが、週刊誌記事に真実相当性理論が適用されるのはわかるんだけど、それは【伝聞を根拠にした誹謗】へも適用されるのだろうか。そうだとすると、もう何でもありじゃん。伝聞を根拠にストーリーを悪し様に憶測して他人を批判する言葉を【中傷】と呼ぶんじゃないの。

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