24-BLOG

行き場のない雑文

合理的配慮の境界画定を差別と断じるリベラル社会が突入する介護難民時代を憂う

副題:偽善(リベラル)の仮面が見抜かれる時代


介護福祉業界で一番必要なのは【介助を切り離す】介護福祉士自身の意識アップデート

車椅子の階段昇降と合理的配慮【追記:間違ったネット情報(段差移動)の修正】

前回記事で、介護難民問題は否応なく国民総力戦で取り組む社会課題になると書きました。また私の理想は社会版【注文を間違える料理店】であると書きました。私個人の理想は理想として、件の映画館車椅子騒動はとても重要な契機を提供してくれたと思ってます。

★車椅子ユーザーとシアターは【対話の席】に着き、双方一定の合意点へ到達したようですね。発端はスマートさに欠けましたが、終わり良いなら何より。

ここで一つ、社会の未来設計に強く干渉してゆくであろう重要規範を紹介しときます。
不可避の社会モデル変更


令和五年法律第六十五号
共生社会の実現を推進するための認知症基本法 e-Gov法令検索

(基本理念)
第三条 認知症施策は、認知症の人が尊厳を保持しつつ希望を持って暮らすことができるよう、次に掲げる事項を基本理念として行われなければならない。

一 全ての認知症の人が、基本的人権を享有する個人として、自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むことができるようにすること。

二 国民が、共生社会の実現を推進するために必要な認知症に関する正しい知識及び認知症の人に関する正しい理解を深めることができるようにすること。

三 認知症の人にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるものを除去することにより、全ての認知症の人が、社会の対等な構成員として、地域において安全にかつ安心して自立した日常生活を営むことができるようにするとともに、自己に直接関係する事項に関して意見を表明する機会及び社会のあらゆる分野における活動に参画する機会の確保を通じてその個性と能力を十分に発揮することができるようにすること。

四 認知症の人の意向を十分に尊重しつつ、良質かつ適切な保健医療サービス及び福祉サービスが切れ目なく提供されること。

日常生活及び社会生活を営む基盤となるサービスを提供する事業者の責務
第七条 公共交通事業者等(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(平成十八年法律第九十一号)第二条第五号の公共交通事業者等をいう。)、金融機関、小売業者その他の日常生活及び社会生活を営む基盤となるサービスを提供する事業者(前条に規定する者を除く。第二十三条において同じ。)は、国及び地方公共団体が実施する認知症施策に協力するとともに、そのサービスを提供するに当たっては、その事業の遂行に支障のない範囲内において、認知症の人に対し必要かつ合理的な配慮をするよう努めなければならない。

国民の責務
第八条 国民は、共生社会の実現を推進するために必要な認知症に関する正しい知識及び認知症の人に関する正しい理解を深めるとともに、共生社会の実現に寄与するよう努めなければならない。

*****

これは第一ステップ法で、障害者差別解消法同様、早晩努力義務は義務へと修正されるはず。

福祉サービス提供者や医療は今更なんでともかく、一般国民がどこまで対応可能か可能でないかについて、きちんと社会的議論をやっておかないと、【助けて当然】とばかりの暖簾に腕押しスタイルが横行する未来になりますよ?

たとえばなんですが、貴方(男女)が仕事で疲れ寝ていたら、部屋のドアをバンバン叩く音で目覚めた。時間は深夜である。恐怖に怯えつつドアを開けると高齢者がパンツ一丁失禁状態で‥法律は第八条を貴方に求めている。

事業者責務の「合理的配慮」とは?

国民責務の「共生社会の実現に寄与」とは?

具体性のない抽象観念ですが、境界画定について話そうものなら【差別】だとか【優しさがない】とかリベラルから非難されます。

【出来ない支援】や【出来ない理由】を言挙げされるのが嫌なんでしょうね。

※これは件の映画館車椅子騒動で実証済です。

これ介護施設ならば滅多にない極端な事例とまではいえない比較的あるあるですし、介護職ならば真顔で対応可能でしょうが、一般国民の皆様は【優しさ】とか【やって当然】レベルの雑な問題意識で対応できそうでしょうか?

親の介護さえ【子供の責任や義務じゃない】と言って憚らないリベラルな国民性で受け止めきれるか疑問ではありますが、件の映画館車椅子騒動で垣間みたキラキラ理想論で乗り越えられるなら存外それが一番かも。

なんにせよ、介護難民時代を見据えたマインドセットの必要な新世界へ突入してゆくでしょう。

© 24-BLOG Repost is prohibited
I'm in a contract with Mikata 弁護士保険