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雑文集

【上川騒動】思想から逃げる政治家が一番信用できない政治家

副題:色とりどり色んなコミュニティがあってよい。

一言:(異る価値観に拠って立つ)部分社会を許容する地方分権化が望まれる。

国民は憲法第十五条を通じ【すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。】と国政の前提を説明しており、第九十九条を通じ【国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。】と義務を課している。

つまり国政(国権作用)の場で(施政の中心地がマイノリティーになろうとマジョリティーになろうと)周縁民の存在を『なおざり』にするなよと言ってる。

上川氏「うまずして何が女性か」静岡知事選の応援演説で

引用元:共同通信
2024/05/18
静岡県知事選応援演説(上川氏の女性支持者が多く集まった屋内の集会)で飛び出た上川陽子外相の『この方(自民党推薦候補)を私たち女性が(県知事へ)うまずして何が女性でしょうか。』発言がネットでめっぽう叩かれていた。

発端は立憲民主党逢坂誠二代表代行の下記発言だろうか。

「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ。」

上川氏側からすれば、あれは支持者へ向けた共通言語を用いた発破だろうし、そうした背景や意図を考慮すると【新たな知事を誕生(候補者を当選)させるとの趣旨だ】的な解説を聞くまでもなく文意は明らかなので、わざわざ釈明・撤回されたのは残念。

この方を
私たち女性が
うまずして
何が女性でしょうか

たとえば次の文章。

新技術を
私たち職人が
うまずして
何が職人でしょうか

両者の違いは【うむ】対象と動作の主体です。後者の対象は技術で【うむ】主体は職人です。ですから生むでも産むでも産出を指している。【産】の第一義は子を生むですが、ものを造り出すという意味もあるので。

他方、前者の対象は人で【うむ】主体は女性です。“人”を女性がうみだす営みは出産以外に考えられない。つまり生むでも産むでも意味に異同はない。漢語林は【生】の字義に子を生むを載せてるし、新明解国語辞典なら①母体が子や卵を体外に排出し、新たな個体としての生命活動を始めさせる。②それまで無かったものを(土台となるものが)作り出す。 とある。


つまり伝統的男女観(五倫:夫婦有別)の滲んだ言い回しでどう釈明してみても保守的語法で規範(女性の役割)を含意させてる。

それを事後になって真意や趣旨に逃げたり比喩と言ってみたり外側から批判された途端【うむ】の意味を誤魔化すの小賢しくないですか。結局御本人は撤回してしまったようですけど保守政治家が保守に向かって五倫に根ざしたプリンシプル説いて何が悪いんだと泰然自若でいてほしかった。

真意というなら保守思想を臆さず明説して見せればよいのに何だよ『そういう思いを持ったことは一度もない人生観としても私の思いとしてもまったくない』って。

そういう思いや人生観を持った人達が差別されず生きる部分社会コミュニティがあってよいに決まってる。

政治家のまつりごとは会社経営と本質違うんだから思想は大切で、隠したり臆したり悪いものだと考える必要ないんだよ。

思想を他人へ押し付けるイデオロギーはキモいけど、思想を抱いてプリンシプルに生きる政治家は好きだ。

上川氏は珍しくそれがある政治家なんだと期待したら、そんなものなかった。

そも逢坂氏はそうした思想の是非に触れておらず適否を問うており(懸念される要素があるのに)無遠慮にした発言への憂慮表明でしかないんだから『釈明不要。支持者向け発言で問題なし。国政の場における議員活動は憲法の制約下にある。』で終わる話だろう。

だって政党は思想結社でしょ。

支持者向け演説と国政における施政表現とでは評価の前提になる場の性質が異なるはずで【支持者とコミュニケートする場】であっても独自の言語空間を開けないなら世間の色んな声を拾い集めそうした声に拠って立つ代議制は成り立たない。穏当じゃないよ。

まぁそこまで無法を吐かす糾弾者は流石に少ないものと信じたい。

あるパフォーマティブな言い回しに自分の嫌う思想が滲んでいてもそこは切り分けるべきだ。

その意味で逢坂批判は勇み足。

国家機関たる国務大臣を顕名してした発言であったならばともかく自民党所属一国会議員の立場でした応援演説中の発言だ。

そうでなく、もし万一【国務大臣】上川某の名でした発言ならば御本人は頭に【冠】被ったわけで、己の選択で国家機関として意思表示したことになるから穏当でないのは上川氏のほうだけど。

大臣発言は政治作用の桁が違う。

その場合、逢坂批判は勇み足どころか踏み込みが浅いことに。

まあ、すでに上川発言撤回されてるし今更どうでもよいのか。

仏教者の私は六喩のほうが大切だから、五倫のような保守規範とは此岸と彼岸くらい距離感じる。

荘子じゃないが、そうした面倒な二元視点(男女、善悪、正邪‥)を両忘したい。

あと余談だが、五倫の夫婦有別を男尊女卑へストレートに結び付ける人もいるかと思う。ただそういう人は、五倫の長幼有序や孝経(庶人章:用天之道、因地之利、謹身節用、以養父母‥此庶人之孝也。)をどう評価するのか気になる。

老人福祉法第二条
老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに‥


老人福祉法の背後思想は五倫(長幼有序)や孝経に基礎づく東亜細亜ジャパンの伝統的【敬老】観念ですが、敬愛すべき相手を国家が法律で定める。これ端的にいって違憲立法ですかね?

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