気になる投稿をみたので備忘。
https://x.com/Taroupho/status/1789484851357446484 より引用
投稿を辿ると次のろくでなし氏に行き着く。
https://x.com/6d745/status/1789437268865982974 より引用
一番目のX投稿、「斯々然々‥差別は正当化されうる。」のくだり、谷口氏は仮言で話されてるが概ね納得できる。‥多分そうなんだろうけど‥多分ろくでなし氏は刑罰の話をしてない‥
その上で、おそらく氏の観念したであろう平等観・公平観を勝手に推察しつつ谷口氏がいう「斯々然々」へ寄せて言語化すると‥
たとえば(更生目的を満たすため)検察の訴追判断や司法の量刑判断において(行為へ至る事情や)個人の具体的内実が評価へ影響する材料になりはしても、それらに先行する形で属性から直接導くなら(子供の行為とか)予め了解された強度の社会的明白性が必要だろうと思うけど違うかな。
単に男性あるいは女性である事実から個別性を差し置き根拠づけることは困難で、これまさに個の優位(属性<個)を重んじる憲法が警戒した考えかたじゃないの?
すべて国民は、個人として尊重される。
第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
たとえば二元を両忘すると眼前にあるのは個物abの差異しかない。たとえばaは羸弱でbは頑健であったとして、そうした具体的内実に先行する形で【男あるいは女だから◯◯】と属性優位(個<属性)させたら偏見じゃないの。
頑健な者は頑健相応に
羸弱な者は羸弱相応に
この公平天秤に改めて男女をいれる余地が必要だろうか。
羸弱だが【男だから】泣きごと言うなと。頑健だが【女だから】家でおとなしくしてろと。
性別関係なく疲れたら休めよ。
つぎに紹介する東大副学長の発想は性別差別の典型ですね‥
記事タイトル①下駄を履いてる18男子🥳
東大副学長「男性は自分の履く下駄を自覚せよ」
引用元:東洋経済ONLINE
2024/05/26 16:00
④下駄を履けない18女子🥺
順境に幸う18女子もいる🥰
逆境に喘ぐ18男子もいる🤢
しかしそうした個別具体的な実情を無視して【男性だから】自明に下駄を履いてるんだと。
【女性だから】自明に困難を抱えて生きてるんだと。
a家庭環境や生育環境に困難、窮乏、逆境を抱える子供たちがいたら性別関係なしに手を差し伸べよう、とはならず「b男性は自分の履く下駄を自覚せよ。」だって。
東大はなぜ(a:実情)でグルーピングせず(b:性別)から入るのでしょうか。これド直球なセクシズムだし男子学生や受験生の苦労と努力を頭ごなしに侮辱する無礼千万な暴言では?じゃあ東大卒業生は下駄履き学士なの?
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ろくでなし氏の投稿内容に話を戻すと、彼女はこうした属性(や属性に見られがちな傾向)を個別に演繹(強制適用)させる悪口ミームを見かねてそれ偏見でしょ?と公平性を調整すべく憤って見せたんじゃないのか。
ミームに乗っかる人は【相手の社会的立場が◯◯だから】【51歳だから】ガチ恋してるのキモいと言ってるわけでしょ?
いやお前がキモいよ。
激烈な非難を浴びせたいなら犯罪行為(動機とか態様とか結果)を直接殴ればよくね?
ところで年齢差別の合理性について私は懐疑的。行政管理上の合理性ならわかる。
明らかな【子供】は社会が守るべき弱者だからともかく、成人年齢のように社会的年齢なんて法律の都合で変えられる程度に実体のない記号。みんな遵法精神から従ってるだけで【未成人/成人】線引問題に根源的了解なんて存在してないんじゃないか。
両岸の岸辺に立つ両者の違い(たとえば事理弁識力)は年齢差に起因する違いなんだろうか。
経験量に基づくのだとしたら年齢て必ずしも経験の指標にはならんよね。まあ年齢規制で経験しようもない体験もあるけど。
記事タイトル高齢者の年齢は露骨でわかりやすい。やはり行政管理上都合よいから一律に取り扱ってるだけじゃん。つまり政治的合理性。
「高齢者は65歳」の定義を維持_厚労相、年金や介護の基準で
引用元:東京新聞
2024年5月28日
これ今回は否定されたようですが、近い将来はどうでしょう。行政都合で70歳以上を高齢者と呼ぶ時代も遠くなさそう。